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近況をまとめ書きしたことで、書くことがなくなってしまった。

相変わらず、読書・大学・ブログのサイクルだ。

 

大学にいると、いろんな人のいろんな話が聞こえてくる。

服に十五万使っただとか、教授とオールで飲んだとか。

その度に不思議な気持ちになる。

私は何者なのだろうかと。

決してネガティブなものではない。

良く言えば、多様性の実感。悪く言えば、優越感。

 

1ポイントを重視し、徒歩を好む。

これでいいのだ。

ただし、中身を検討せずに古本を買ってしまう悪癖は直さなければならない。

 

 

今週の読了本

藤井冠次 著『伊藤律と北京・徳田機関』

(1980年、三一書房)

写真を撮ってみると、表紙が何かの錯視絵のようになっている。

いかにも古そうなデザインなこの本は、今から四十年以上前に出版されたものである。

 

私はこの本をタダで手に入れた。図書館の頒布図書としてだ。

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忘れた頃にやってくる配布図書シリーズ第三弾。

残りはあと一冊。私は去年、本を四冊貰って来た。

四冊も貰うのは司書さんからすればゲンコツ案件かもしれないが、配布の最終日近くであったこと、既にほとんどの本が貰われてしまった後だったということは言っておきたい。

とはいえ、貰ったクセに読まないというのは良心が咎めるので、春休み以降読み進めてきた。

寝る前読書は牛歩の歩みだが、ついに三冊目を読了できた。

 

読み終わるまでに時間が掛かり、また内容も難しかったため帯文を軸に書いていく。

あらすじは以下の通り。

伊藤律はスパイだったか

著者は昭和27年1月、36トンのトロール船で長崎より脱出、北京の徳田機関に着任。伊藤律の指揮下に入り、『自由日本放送』のデスクとして非合法党活動に入る。『律』が28年7月上旬、中共の公安部隊によって拉致されるまでの1年余の言動を詳細に報告す。

-帯より引用。

伊藤律はスパイだったか」という文言と、「徳田機関」という既知の単語に惹かれて手に取った。徳田機関の「徳田」は、高校の時に日本史で習った徳田球一のことであった。

上海には二日後についた。私は西沢隆二から連日、査問結果の口述をうけた。〝律〟の自己批判は厖大なものらしく、西沢はそれを客観的事実を中心に整理し、ニュースのような簡潔な文体に成文化したものを私に伝え、私は一たん筆記し暗記してから焼却するという方法をとった。それは、律の自己批判のかたちをとらず、後に志田指導部から発表された通りに、律の罪状報告のかたちをとっていたのである。

『彼は何をしたのですか』と私は野坂にきいた。『彼は君、スパイでわが党と国際友党との離間をはかっていたんだよ』『へえ、信じられないな』と私は言った。事柄があまりに唐突であつたからである。野坂は重ねて言った。『君は、何か思いあたることがないか』と

-帯より引用。

裏表紙側の帯文(本文からの引用)も興味を惹くものだった。不謹慎かもしれないが、私は昔からこの手の本に興味があったのだ。

 

読み始めてみて驚いた。本文の下に厖大な文字数の注釈が・・・・・・。

注釈セパレートタイプの本は不慣れだ。

具体的には思い出せないが、なんかトラウマな気がする。

でも、読み進めていくうちに慣れた。古い本にも、注釈にも。

そして、読み終えた。

意外だったのが、著者が家族を養うために北京行きを決意していたことだ(もちろんジャーナリストとしての使命感からでもある)。勝手な印象だが、この手の団体には強力なパトロンがいて予算や人材も潤沢だと思っていた。「細胞」(=構成員)のひとつひとつも一個人であり、思想も若干異なっているのだ。だから、対立や分裂もする。紙媒体より効果的なメディアを、という考えから『自由日本放送』が設立され、著者はデスクに就任。放送原稿のことば(不自然な文語)の手直しや放送内容の検討に追われることになる。書名にある伊藤律は著者より立場が高く、徳田に対する影響力も高い人物だった。後に伊藤は組織から追放されるが、本書では彼の追放前後に北京・日本で起きた出来事から、彼がスパイだったのではないかという疑惑の検討がなされている。

 

正直、雰囲気で読んでいたところもある。

ところどころで知ってる名前が出てくるので「THE歴史」といった感じで乗り越えた。

 

小説より奇なりな内容もあるので、興味のある方は是非。

 

 

<了>