開国と閉扉

貰った本は、読むのに踏ん切りを要する。

読んでみると面白くて「なぜもっと早く読まなかったのか」と思うのが常なのだが、場所を選ぶ単行本ではそうも言っていられない。

私の積ん読における難所もそういった本たちである。

とはいえ私は著名人ではないので、本を寄贈された経験というのは人生で一度しかない(あるんかい)。

ちなみにその本は貰ってから三年くらい経つが、未だに読んでいない。

いわば積ん読の礎だ。

いずれ読んで、いずれ書く。

 

今週の読了本

まずは難所から。『にっぽんコミューン』に次ぐ配布図書シリーズ第二弾。浦賀近世史研究会監修の『南浦書信』。

(2002年、未來社)

副題に「ペリー来航と浦賀奉行戸田伊豆守氏栄の書簡集」とあるように、ペリー来航時の浦賀奉行・戸田氏栄(うじよし)が同僚の井戸鉄太郎に宛てた手紙をまとめた本である。

 

昨年、取り組んでいた授業課題の資料として手に取ったのだが、結局使わずじまいで今日まで積まれていた。

巻頭の写真史料や巻末の年表など本編以外も充実している一冊だったのだが、とある理由から課題には用いなかった。

 

というのも、肝心の書簡に現代語訳がついていなかったのである。

注釈こそあるものの、ほぼ漢字のみで構成された文章を読み解くには相当な根気と知識が必要となる。

つまり、この本は読み物ではなくガチモンの史料集だったのだ。

 

ほうほうの体で一旦本を閉じ、「一字一句を読まなくてもよいのだ」と言い聞かせて再び本を開く。

試しに序章や解説などの可読部から読んでいく。

日本史の風に高校時代の記憶を刺激されつつ、この本の成立の経緯を知る。

 

刊行の翌年である2003年はペリー来航150周年らしい。

ペリーが来航したのは1853年なので当然なのだが、「ペリー来航から○○年」という考え方はしたことがなかった。

私はペリー来航の150年後に生まれ、ペリー来航の159年後に目をつぶって歩道を走って大怪我をし、ペリー来航の170年後にこの文章を書いている。

こんな風に書くと偉業を成し遂げた気分になれる。なんか得した。

 

休みパワーを借りて本編も読んでみる。

見覚えのある人名などから何となくで読む。

意外と読めた。懐かしき江川太郎左衛門

 

ところどころに引かれた赤線のおかげで重要な部分も一目で分かる。

問題なのはこれが元は図書館にあった本だということだ。誰だ、線引いたヤツ。

まあ、引きたくなる気持ちも分かる。漢字ばっかだから、見失っちゃう。

 

読了とは名ばかりだが、一通り目を通したので一旦終了とする。

 

史料として力を借りる機会もあるかもしれない。そのときはよろしく。

ただし、ペリー来航時の氏栄は忙殺されていたらしく、残念ながらこの時期の書簡は残されていないらしい。

 

そして、その幻の書簡を巡って殺人事件が起きて・・・・・・。

なんて風に小説家は話を膨らませていくのだろうか。

 

 

お次は小説。石持浅海さんの『扉は閉ざされたまま』。正真正銘、読みたくて買った本。

(2008年、祥伝社文庫)

大学の同窓会で七人の旧友が館に集まった。<あそこなら完璧な密室をつくることができる・・・・・・>伏見亮輔は客室で事故を装って後輩の新山を殺害、外部からは入室できないよう現場を閉ざした。自殺説も浮上し、犯行は成功したかのようにみえた。しかし、碓氷優佳だけは疑問を抱く。緻密な偽装工作の齟齬を紐解いていく優佳。開かない扉を前に、息詰まる頭脳戦が始まった・・・・・・。

-裏表紙より引用

 

著者の代表作であり、碓氷優佳シリーズの第一弾。遅ればせながら拝読。

 

古畑任三郎』でお馴染みの倒叙ミステリだが、現場が事実上封鎖されているため、探偵役にとってはただのフーダニットではない。

出発点が「新山が殺されていること」ではなく「新山が部屋から出てこないこと」なのだ。

その理由について残りのメンバーが議論していく中で、「新山は寝ているだけだ」と思わせたい伏見と「新山の生存確認をするべきだ」と主張する碓氷優佳の駆け引きが静かに白熱する。

 

伏見はなぜ同窓会の場で殺人を犯したのか。なぜ現場を閉ざしたのか。

 

切れ者同士の頭脳戦、最高だった。

 

 

今週の収穫

若い。

 

 

<了>