ゴールデンウィークに先立って、ブックオフオンラインでクーポンが配信された。
中古商品を三点以上購入すると100円引きになるというものだ。
私は早速このクーポンを使って買い物をした。
三点のうちの一点がこちら。
輿水泰弘さんの『恋も2度目なら』-同名テレビドラマのノベライズ作品。
脚本を担った輿水さんが、ご自身でノベライズしたものなのだろう。
以前検索した時は在庫が無かった。かなりのレア本だと思われる。
現物を見ると、商品紹介やネット上にある画像とは表紙が若干異なっている。
ネット上には題字が白く、「2」が青色の表紙の画像しかなかった。
帯も付いているので、もしかしたら初版か限定版なのかもしれない(あるいはその逆か)。
ところが、カバーをめくると・・・。
なんと中身が違う本なのだ。
改めて表紙をめくっても・・・。
奥付を確認しても・・・。
正真正銘、違う本なのだ。
目を疑った。こんなことあるのか。
このあるあるを書いた時には、まさかこんなことが起こるとは思ってもみなかった。
確認行動は心配性な自分を納得させるための行為でしかなかった。
よりにもよって、オンラインショッピングでこんなことが起こるとは。
私は店舗で商品を受け取る時に、商品の確認を断っていた。
これまでこんな手違いはなかったし、なにより会計に時間を掛けたくなかったからだ。
しかし、今回は確認をしていたとしても防げなかっただろう。
表紙さえ合っていれば、中身が違うなどとは普通は思わない。
いくら心配性な私でも、店員の目の前で丹念に本を検めるほどの胆力はない。
まあ、残念だが仕方がない。
私は問い合わせをし、返品の手続きをした。
110円の品だとはいえ、違うものは違うのだ。
何故こんなことが起こったのか。
買取に出された時点で既にカバーと中身がちぐはぐだった、というのが一番ありそうだ。
それが倉庫での検品をすり抜けて、私の手元に届いた。
こういうことだろうか。
それにしても、ぴったりなサイズだ。
ジャンルと出版元が一致しており、その時期も一年と違わない。
余談だが、この『僕が彼女に、借金をした理由。』は文庫化され動画配信もされている。
『恋も2度目なら』との表面的な違いは、このぐらいか。
では、『恋も2度目なら』の本体はどこにいってしまったのか。
一対一の入れ替わりならば、『僕が彼女に、借金をした理由。』の購入者にも私と同じことが起こるのではないか。
そう思ってブックオフオンラインを確認したが、『僕が彼女に、借金をした理由。』の在庫は無かった。
既に同じことが起こったのか。
しかし、それならその時に入れ替わりの事実が判明していそうなものだ。
それとも買取が成立した時点で「誰から買い取ったか」が重要ではなくなり、確認には至らなかったのだろうか。
だが、中身が入れ替わったニ冊が同時に買い取られたのなら、流石に見落としは起こらなかったのではないか。
そう考えると、中身が違う『恋も2度目なら』だけが買取に出されたという線が濃厚だ。
私が『恋も2度目なら』の在庫を気にし始めてから、まだ一年も経っていない。
つまり、この本が買取に出されてからまだそれほど日が経っていないことになる。
ニ冊の販売価格には大差がないので、買取価格も大差ないだろう。
つまり、検品ではじかれるリスクを冒してまでカバーをかけ替える理由はない。
そうなると、買取に出した人物はこの事実を知らない可能性がある。
この場合、ふたつのパターンが考えられる。
まずは、前の持ち主が自ら買取に出したというパターン。
前の持ち主が私と同じ目に遭った可能性はここでは考えない(返品すれば済む話なので)。
思い付きか何かで、カバーを付け替えてそのまま忘れてしまったのか。
凹みの形が一致しているので、この状態になってから時間が経っていることが分かる。
思い付きでカバーをかけ替え、それを忘れて買取に出したとなると『恋も2度目なら』と『僕が彼女に、借金をした理由。』の持ち主が同じだということになる。
私はさっき、ニ冊が同時に買い取られたのなら見落としの可能性は低いだろうと述べた。
そうなると、持ち主が自らちぐはぐなニ冊を買取に出した可能性も低いだろう。
そもそも、カバーをかけ替えるメリットが見当たらないのだ。
次は、持ち主とは別の人物が買取に出したというパターン。
何らかの事情で持ち主の手から別の人物に渡った本が読まれることなく買取に出された。
この可能性は高いように思える。
しかし、やはりカバーをかけ替えるメリットが見当たらない。
正直、手詰まりだ。
もしかしたら、子どものイタズラのように無意味な行動と偶然の結果なのかもしれない。
この場合でも、ニ冊が同時に売られたのではないという私の仮説と矛盾する。
あるいは、数回に分けて買取に出しただけなのかもしれない。
私が述べたのは、戯れの当て推量に過ぎない。
真実はあっけないかもしれないし、あるいは小説より「奇」かもしれない。
まとめに入ってしまったが、せっかくなので私のファイナルアンサーを述べたいと思う。
AとBという二人の人物がいた。
二人は知り合いだが、会えば話すという程度だった。
つまりは、会わなければ話すこともなかったのだ。
AはBに思いを寄せていた。
一計を案じたAはBに本の貸し借りを持ちかけた。
一度本を貸せば、返す時にまた会えるからだ。
会えれば、また話すことができる。
Bへの思いが高まった時、Aは欲を出した。
借りた本の中身を別の本と入れ替えたのだ。
Bがそのことに気付けば、一度の貸し借りでさらにもう一回会うことができる。
Aは期待した。本の中身を入れ替えたことに対する弁明など考えていなかった。
ただ会えればいい、それだけだった。
しかし、Bは気付かなかった。返ってきた本を検めなかったのだろうか。
Aが真実を打ち明けることはなかった。
そして何故かBへの気持ちも冷めていった。
Aは勝手だった。
愚計など案じなければ、本を通じた交流は続いていっただろう。
勝手に一世一代の大勝負を仕掛け、気付かれることなく破滅した。
かくしてちぐはぐな本がニ冊生まれた。
二十年後、Bは本を買取に出した。ちぐはぐな本があることを知らずに。
Aはまだ、ちぐはぐな本を持っている。それはBへの思いからではなかった。
カバーとはいえ人の物を勝手に処分することはできない。ただ、それだけだった。
Aはそう自分に言い聞かせていた。
誰にも答えが分からないのをいいことに、妄想を炸裂させた。
私は明日、この本を返品しに行く。
実に、奇妙な出来事だった。
<了>