地下のシアタールームを出て階段を上ると、ガラス越しに青空が見えた。
弁当を買う友人と一旦別れて、私はいつもの場所に向かった。
校舎裏の屋根なしテラスには誰もいなかった。
私たちの指定席である石のベンチ(とは名ばかりのコンクリ製の巨大な直方体)は、今朝の大雨にもかかわらず平時の灰色を保っていた。
戻ってきた友人と共に湿った緑の葉をいくつか取り除き、私たちは昼食を始めた。
食事中、私たちは翌日のゼミに備えて漢文の訳を確認していた。
一足先に食べ終えた友人は、私のノートをぱらぱらと行ったり来たりしていたが、やがて唸った。
私は視線をおにぎりから友人へと移し、さらに彼の視線の先にあった私のノートに移した。
ノートにはさっきまでは無かった染みができていた。
頭上の樹から水滴でも落ちてきたか。
そんな事を考えていると、友人は「俺じゃない」と言った。
彼は「私が彼を疑っている」と思ったらしかった。
私は「彼が私に疑われたと思っていること」が悲しかった。
私と彼との関係はノートの染みごときで壊れるものではない。
それ以前に、彼は正直で私は寛容だった。
不思議なことに、染みはページを捲るごとに濃くなっていった。
やがて原因にたどり着いたが、それはひどく不可解だった。
ノートのあるページにナメクジが張り付いていたのだ。
閉じられていたはずのページに、なぜ?
友人はノートを裏返して上下に振り、ナメクジを剥がした。
おにぎりを飲み下した私は彼に礼を言い、ノートの観察をした。
ナメクジは湿っている。だから通り道すべてに濡れた跡が付くはずなのに、私のノートには最後にナメクジがいた所の跡しか残っていなかった。
オイ、お前はどこから来たのだ?
と、周りを注視していたら小さなナメクジの姿をいくつかを発見した。
だから誰もいなかったのか。
彼らは普段どこにいるのか。いつ、どこから現れるのか。
痕跡は突然ナメクジが出現したことを物語っている。
しかし、そんなことは起こり得ない。
私は天を仰いだ。
垂れた枝葉が青空を侵略していた。
もしかして。
ナメクジは頭上の枝から落ちてきたのではないだろうか。
そして、その小さき者の存在に気付く前にページが捲られてしまった。
ぺちゃんこになったナメクジから水分が染み出たから、ノートの内にいくほどに染みが濃くなっていったのだろう。
Case is closed.
私は尻でナメクジを踏んでいるかもしれないことに気付いたが、あえてそのことには言及しなかった。
二人でテラスを後にした。
もちろん、振り返らなかった。
我々にとっては染みよりもゼミの方が重要だった。
今週の読了本
若竹七海さんの『パラダイス・ガーデンの喪失』-葉崎市シリーズの最新長編。
10年ぶりの<葉崎市>は、とびきりビターな秋を迎えています。
2020年秋、葉崎市の崖の上にある個人庭園<パラダイス・ガーデン>で、身元不明の老女の自殺死体が発見された。庭園のオーナー・兵頭房子は自殺幇助を疑われ、ささやかな彼女の暮らしは大きく乱される。葉崎署の二村貴美子警部補が捜査に乗り出すが、この事件をきっかけにそれぞれの人物が抱える綻びが連鎖しはじめ、葉崎市に隠されていた謎がモザイクのように浮かび上がっていく・・・・・・。
-帯より引用
葉崎市シリーズは全巻揃えたのだが、まだ読めていない文庫本が三冊もある。
それでもいきなり最新作を読んだのは「単行本は文庫化する前に読んだ方が得」だと思っているからだ。
四六判ソフトカバーで370ページを超えるボリューミーな一冊で、登場人物もかなり多かったのだが、細かな章立てとキャラクターの個性のおかげでノンストレスで読むことができた(巻頭には登場人物紹介がある)。どうやったらこの人数を描き分けられるのだろうか。
コロナ禍の葉崎で勃発するさまざまな犯罪をベテラン警部補の二村貴美子がさばさばと解決していく。彼女のパーソナルな部分や本格的な活躍を堪能できた。
この本が発売された2021年はまだコロナ真っ只中だった。ピークを過ぎた今この本を読むと、あの時の記憶がありありと蘇る気がする。
登場人物たちが抱くストレス(コロナはもちろん近所付き合いなど)が絶妙にヤな感じに、それでいてユーモラスに描かれている。
戯画化された不幸を味わうために著者の本を読んでいるといっても過言ではない。
帯文には「ニガミス」とあったが、私はむしろ爽快感を覚えた。
突き抜けた結末は私、大好物ですから。
<了>