発見と言われても

雲一つない空の下、男たちは白紙のスケッチブックを前に黙考していた。

 

3分前ーー。

 

ゼミ終わりに談笑していた我々の前に、一組の男女が現れた。

「お食事中すみません」

「少しお時間よろしいですか?」

スーツ姿の男女は口々に言った。

手には紙袋、首には身分証をさげていた。

「いいですよ」

我々三人の中で最もコミュ力が高いKが返事をした。

 

彼らは大学広報の人間だった。

どうやら取材相手を探しているようだった。

私ともう一人の友人Sはまだ食事中だったが、取材を受けるのは吝かではなかった。

というよりも、断るのが忍びなかったのだ。

 

広報の二人は紙袋からスケッチブックとマジックペンを三組取り出した。

思っていた取材とは違うようだが、今更引き返せない。

私とSが昼食を中断すると、女性は「よろしいんですか。ありがとうございます」と言った。

遅食の私にとってはあまりよろしくはなかったが、食べ終わるまで人を待たせるという経験は義務教育までで十分だった。

 

禿頭の男性は広報誌の最新号を取り出し、ふせんの付いたページを示した。

そのページには「今年の目標」を書いたスケッチブックを手に、笑顔を向ける学生たちの姿があった。

なるほど、これをやるのか。

察しのいい私は、既に当たり障りのない目標を考え始めていた。

 

しかし、男性は言った。

「皆さんには最近“発見”したことを書いてもらいます」

我々は困惑していた。

発見?

改めて問われると難しい。新入生以外には難しい質問だ。

ジャネーの法則の傀儡たちは動けなかった。

 

雲一つない空の下、男たちは白紙のスケッチブックを前に黙考していた。

 

はじめにペンを執ったのはKだった。Sも続いた。

二人の解答は新入生のような若さと気怠さを伴っていた。

つまり、大学生として模範的なものだった。

 

私は取り残された。結局、いつも取り残されるのは私だ。

 

体感的にはとてつもない時間が経過した気がした。

最終的に、私はSの知恵を借りて「発見」を捏造した。

 

三人で並んでカメラと向かい合う。

私の笑顔は、胸に掲げる「発見」と同じくぎこちないものだったかもしれない。

 

みんな仮面を着けている。斯く言う私も。

 

 

今週の読了本

石持浅海さんの『この国。』-架空の管理国家を舞台にした短編集。

(2013年、光文社文庫)

一党独裁の管理国家である〝この国〟は非戦平和を掲げることで経済成長を遂げた。死刑執行は娯楽となり、国民は小学校卒業時に将来が決められ、士官学校は公務員養成所と化し、政府が売春宿を管理する。そんな国の治安警察官・番匠と、反政府組織の稀代の戦略家・松浦――ともに「この国のため」に知力の限りを尽くす二人の、裏の裏を読み合う頭脳戦を活写した傑作!

-裏表紙より引用

公開処刑場で死刑囚・菱田の奪還を目論む反政府組織と治安警察官・番匠の頭脳戦を描いた「ハンギング・ゲーム」、教え子の“完全な自殺”に疑念を抱いたアメリカ人教師が主人公の「ドロッピング・ゲーム」、卒業を控えた士官候補生たちが外国人による強盗未遂事件に挑む「ディフェンディング・ゲーム」、買春客連続殺人事件に番匠が挑む「エミグレイティング・ゲーム」、“表現庁”官僚の護衛をする番匠と復讐に燃える反政府組織の頭脳・松浦の最終決戦を描いた「エクスプレッシング・ゲーム」の五編からなる短編集。

 

話によって視点人物は異なるが、どの話にも“ケルベロス”の異名を持つ切れ者の治安警察官・番匠が登場する。

警察官が探偵役になる話は著者の作品としては珍しいが、やはりそこはただの警察官ではない。そもそもの舞台が架空の国家なのである。

特殊な舞台という著者の独壇場で硬軟文武両道、バラエティ豊かなミステリが炸裂する。

 

巻末の解説では、著者について「登場人物に共感しにくい面はあるにせよ、合理性ゆえの(逆説的な)奇妙な味が芸風を成していることは確かだろう」と述べられている。

私は創作物に「共感」や「感情移入」をあまり求めていないのではないか。

著者の作品を人より楽しめている自覚があるからこそ、ふとそんなことを思った。

 

 

<了>