『きまぐれ読書メモ』は星新一による読書エッセイ集。
現在は絶版で、電子書籍化はおろか星作品としては珍しく文庫化もされていない一冊。
星新一が本を読み考えた
これは単なるブックレビューではない。SFの先駆者、優れた伝記作家、星新一が書物を契機に、人間、社会万般にわたって思索し、生み出した傑作エッセイなのだ!!
珠玉の読書エッセイ集
ここに取り上げられた書物群は168点の多数に達し、その分野はSF、中間小説、純文学ノンフィクション、科学、歴史、漫画、童話 写真、音楽と驚くほど巾が広い。その著者群も、国の内外、有名無名、実に多様だ。これは著者の知識の大きさ、関心の広さ、教養の深さを示すものであり、そこから生まれたエッセイが人を魅了する所以だろう。
ー帯より引用。
13部構成で、初出はいずれも『奇想天外』(奇想天外社)というSF雑誌。
PARTⅠ~Ⅳ 1978年5、7、9、11月号
PARTⅤ~Ⅹ 1979年1、3、5、7、9、11月号
PARTⅪ~XIII 1980年2、4、6月号
目次をまとめている方がいたので、気になった方はこちらを閲覧されたし。
取り上げた本の書名と著者名が各エッセイのタイトル代わりになっているのだが、PARTⅢには「『 』『 』『 』」というものがあり、目次の中でもかなり目を引いた。試しに読んでみたら、こうあった。
右の空白部分には、翻訳の長編を三冊並べるべきなのだが、けなすつもりなので、わざと書かない。
(中略)オビに意味ありげな文章を書いたやつは、詐欺師である。
(中略)自己の不明のせいなので、文句の持ってきようがない。小説のつまらないのを読まされた被害者連盟、略して小ピ連でも作るとするか。
ー33、34頁より引用。
面白い。これが読めただけでも買った甲斐があるというものだ。
日本は「翻訳大国」だと聞いたことがあるが、その弊害なのかもしれない。
私は中学時代に背伸びをしてエラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』とブラッドベリの『火星年代記』を読んで痛い目を見たことがある。原文や翻訳が悪いなどとは言うつもりはないし、有名な作品なのでそんなことはないと思う。原因は背伸びをしたことに違いないのだ。今読んだら面白いと思えるのかもしれないが、かといって読み返す気も起こらない。背伸びをしたために損をした。
『火星年代記』は星新一が絶賛した作品だと知って手に取ったのだが、星新一が読んだのは『火星人記録』というタイトルで、訳者も異なるものだ。身勝手だが『火星人記録』のほうを読んでいたら、などと考えてしまう。いつの日か読んでみたい。
話が逸れた。つまらないものはつまらないとハッキリ言う正直さ。見習いたい。
出版社との過去のトラブルについても書いている。このことが文庫化されなかった理由だという説をネット上で見かけたことがあるが、真相やいかに。
星新一自身も文章中で言及しているが、執筆時点で既に入手困難な本が取り上げられていたりもするので、案外そういったことが未文庫化の理由なのかもしれない。
時の流れか、私の不勉強か。取り上げられていたのは、読んだことがない作品ばかり。
エッセーの書き方の見本でもある。つまり、自己の失敗を書けるかどうかだ。学者や役人の随筆のつまらないのは、それができないからである。
ー202頁 PARTⅪ「山田風太郎著『風眼抄』」より引用。
それでもこの本を楽しく読めたのは、星新一が自身の勘違いや失敗を正直に書いているからだろう。
文庫でだが、アーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』は読んだことがあった。
日曜日の朝、柔らかな陽に包まれたニューヨーク五番街を散歩する夫婦。久し振りに二人だけの時間を過ごそうと妻はあれこれと計画するが、街を行く若い女性に対する夫の目が気になって……(表題作)。軽妙な夫婦の会話を軸に、男と女の機微を描く洒落た都会小説のエッセンス十篇を収録。
ー裏表紙より引用。
ある時、父が本を処分しようとまとめていたことがあり、その中にこの本があった。私はカバー装画が和田誠によるものであることを理由に、この本と『金田一耕助の冒険1・2』を譲り受けた。和田誠は星作品のイラストも数多く手がけた人物だ。
数年前に一度読んだきりなので内容はほとんど忘れてしまった。
星新一が「たぶん、この本、書棚の片すみに入れておいて、またいつか読みかえしてしまうだろう」(228頁 PARTXIII「アーウィン・ショー著/常盤新平訳『夏服を着た女たち』」より引用)と書いていることだし、これを機に読み返してみようか。
私は現在、PARTⅧで取り上げられている岡本綺堂の『中国怪奇小説集』を読んでいる。
前にも書いたが、もともとはゼミのレポート課題のために『きまぐれ読書メモ』を買ったのだ。星新一が中国怪談の影響を受けていたなんて、この本を読むまで知らなかった。
基本的にネタバレはされていないので、この本で取り上げられている作品を読んで「星新一の読書」を追体験するのも一興だろう。稀覯本探しも楽しそうだ。
まあ、積ん読が解消したらの話だが。
父に関しては、借金の山を残してくれてと、不肖の息子であることと、そんな感情を抱いてきたはずなのだが、三十年たったいま、自分の作品と同じく、私と切り離せないつながりを持っていたのだと……。
といったようなのを書けば、教養小説の短編になるらしい。照れくさくて、かなわん。
一瞬泣きそうになったのに。
やっぱり、星新一はエッセイも面白い。読んでいると気分が落ち着く。
<了>