無為自然

春休み。今のところ堕落した日々を過ごせている。

休むことに罪悪感を覚えるようでは大学生は務まらない。

去年は左折ができなくて泣いているうちに休みが終わってしまったので、今年こそは。

 

だが、そうは問屋が卸さない。そろそろゼミのレポートに取り組まなければならない。

卒検以来一度も車を運転していないが、結果として去年のうちに免許を取得しておいてよかった。レポートと教習所の両立なんて、できるわけがないんだから。

 

レポートを書くために『聊斎志異』という怪異小説集の完訳版を買った。

 

ブックオフオンラインには入荷する見込みがなかったので、久々にメルカリを覗いてみた。目的の品はあったが、取引メッセージを送るのが面倒で先延ばしにしているうちに他の人に買われてしまった。教訓、欲しいものはすぐに買うべし。

 

教訓を盾に『相棒』関連の雑誌を5冊買った。台本もいくつか出品されていたが、一冊3,000円近くしたので流石に踏みとどまった。

それだって、数日後にまとめて買われてしまった。驚くべきことに、10,000円で出品されていた「BIRTHDAY」の台本も売れていた。まだまだ上には上がいるのだ。

コンビニ払いなので手数料がかかったが、神保町までの交通費だと考えれば安いもんだ。

 

結局、『聊斎志異』はアマゾンで買った。ついでに『相棒』関連の雑誌を4冊買った。

送料がかかったが、神保町までの交通費だと考えれば安いもんだ。

 

聊斎志異』を買おうとしただけなのに、『相棒』関連の雑誌を9冊も買ってしまった。

ブックオフオンラインで購入したものも合わせると、ひと月で13冊になる。

嬉しいけれど、そろそろ、やる気を出すために物を買う行為をやめなければと思う。

 

ちなみに私が買った『聊斎志異』はこんな感じ。函入りの本で、かなりデカい。

ポールと比較するとその差は歴然だ。

500篇近い怪異譚が収録されているようだが、果たして読み切れるだろうか。

こんなデカい本を読むのはニコ・ロビンか私ぐらいだろう。

そういえば『ワンピース』の録画が115週分たまっているが、果たして観切れるだろうか。

 

 

今週の読了本

中島隆博さんの『中国哲学史 諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』

(2022年、中公新書)

春秋戦国時代に現れた孔子老子諸子百家に始まり、朱子学陽明学に結実したのち、西洋近代と対峙するなかで現代の儒教復興に至る中国哲学。群雄割拠から統一帝国へ、仏教伝来、キリスト教宣教、そして革命とナショナリズム。社会変動期に紡がれた思想は中国社会の根幹を形づくった。本書は中国3000年の叡智を丹念に読み解き、西洋を含めた世界史の視座から、より深い理解へと読者をいざなう。新しい哲学史への招待。

ーカバーそでより引用。

 

ゼミの教授の推薦図書だったので読んだ。

寝る前読書でちまちまと、一年近くかかって読了。

新書を読むのは高二の時に父に読まされた『バカの壁』以来。

家長に命令されれば車の免許だって取るし、『バカの壁』だって読む。

俺はこういう人間だ。

 

300ページ超えのボリュームが新書として標準的かどうかは知らないが、とにかく内容が濃かった。100ページまで読んだところで「歴史に関する本を読んで2000字程度のレポートを書け」という中国史の講義の課題が完成したくらいだ。

 

本書は序文と跋文、21の章に分割された本文と4本のコラムから成り、巻末には参考文献と年表、人名索引が載っている。私は「はじめにーー中国哲学史を書くとはどういうことか」と題された序文と「第1章 中国哲学史の起源」から「第5章 礼とは何か」までの記述を軸に、孔子孟子荀子荘子についてのレポートを書いた。同時期に『論語』や『孟子』、『荀子』を講読していたこともあり、理解しながら読み進めることができた。

 

まあ、裏を返せば、ある程度の知識は必要ということで……。例えば「第17章 西洋近代との対決ーーパラダイムシフト3」の冒頭には「洋務運動」(1860年代半ば以降に中国で起こった、西洋の機械技術を導入して軍事的自強を図る運動のことらしい)といった言葉がいきなり登場する。この時もたまたま中国文学史の講義で近代中国について学んだ直後だったので先に進むことができたが、自分で調べることもまた一興だったろうと思う。

 

話が現代に及ぶとかなり複雑になってくるが、この「わからなさ」が徐々に面白くなってくる。受験勉強じゃあるまいし、覚えようとしなくていい。完璧に理解できなくてもいい。繰り返し読めばいい。そういう開き直りのおかげで、ストレスなく読むことができた。中国哲学に少しでも興味のある人や、かじったことがある人は読むべき本だろう。

 

 

寝る前読書として、8冊の本を並行して読んでいる。

別に多読自慢ではない。一冊につき2ページずつくらいしか読んでいないんだから。

塵も積もればなんとやらで、積ん読解消にはひと役買っている。

とりあえず1、2ページずつ読み、気が乗ったものは続きを読む。この読書法は、真心ブラザーズYO-KINGさんがインタビューか何かでおっしゃっていたものだ。

 

(以下、敬称略)

真心ブラザーズが好きで、最近は『GOOD TIMES』というアルバムをよく聴いている。

(1999年8月25日発売)

このアルバムに収録されている「突風」(作詞・作曲:YO-KING、編曲:桜井秀俊)という曲に「まるで日の光に傾く 植物のようさ そよ風には体を揺らし 突風に折れるのもいいだろう」という歌詞がある。

荘子と同様に無為自然を重んじた思想家の老子は、水のような生き方を理想とした。

老子』のその部分の記述を簡単にまとめると、

 

・人は生まれた時は柔弱で、死ぬ時は強張るものだ。

・草木も生まれた時は柔弱で、死ぬ時は枯れてかたくなるものだ。

・ゆえに、堅強なものは「死」の仲間、柔弱なものは「生」の仲間である。

・強い軍隊がやたらと戦って結局負けるのも、かたい木の枝が折れやすいのも、そういうわけである。

・世の中に水より柔弱なものはなく、堅強なもので水に勝てるものはない。

 

……となり、「突風」の歌詞になにやら共通するものがあることがわかる。

 

老子は、水のように柔弱であることを理由に、生まれたままの自然なあり方が人間にとって最上の善だと説き、「仁義」といった人為的な「道」を説く儒家を批判した。かたい木の枝を水に負けるものの例に出して。

 

木の枝に勝る水を善しとする老子と、植物のように折れたっていいと歌うYO-KING。一見すると両者の思想は正反対のように思えるが、「そのまま」すなわち「自然」を善しとしている点では共通している。

 

「突風」には「知識は頭をスルーして 捨てていくのさ 僕は僕の素晴らしき人生の為に 寝っ転がってテレビを見ている」「吹きさらしに体を委ね 変わってゆくのもいいだろう」という歌詞が、同じく『GOOD TIMES』に収録されている「FLYING BABY」(作詞・作曲:YO-KING、編曲:桜井秀俊)という曲には「冷たい手は冷たいまま そのままで 開いた本は開いたまま そのままで」「気になることは気になるまま そのままで」という歌詞があることからも、彼が「そのまま」を肯定していることがわかる。

 

(1999年10月1日発売)

「突風」はのちにシングルカットされた。カップリング曲は「FLYING BABY」である。

 

「そのまま」の姿勢はYO-KINGの作品に通底している。

ソロアルバム『スペース ~拝啓、ジェリー・ガルシア~』に収録されている「世界の元」(作詞・作曲:YO-KING)などはその極北だろう。

(2010年7月21日発売)

そのままで幸せになっていいんだ

ユメは遠く次の世代に引き継がれ

このままぼくら幸せになっていいんだ

君が好きだよ

すべてはそこから 始まりは愛

YO-KING哲学がギュギュッと詰まった名曲集!

 

より善い世界を思索した老子と、市井の「そのまま」を肯定するYO-KING。両者ともに「無為自然」の境地にたどり着いたことが、なんらかの真実を示している気がする。

 

真心ブラザーズには、ほかにも「そのまま」を肯定する曲がたくさんある。

桜井秀俊が作詞・作曲した「バンドワゴン」(『INNER VOICE』収録)や「朝日の坂を」(『Cheer』収録)、「Boy」(『TODAY』収録)のように、歌詞を読むと「老いや別れ、喪失への諦念」が伝わってくるのに、歌として聴くとそれらを肯定しているように、明るく聴こえてしまうような不思議な曲も存在する。

 

 

……調子に乗って書き過ぎてしまった。

老子真心ブラザーズ

頑張ればこのテーマでゼミのレポートが一本書けるかもしれない。

聊斎志異』のレポートも、この調子で終わることを願うばかりだ。

 

 

<了>