ほんとに/金田一/涼子/はBARにいる

夏休みに何をしたかと聞かれた時、あなたはどう答える。

私なら「レポートを書いていた」と、困り顔でも浮かべながら答える。

だがそれは真実のすべてではない。

実際の答えは「レポートを書き、それ以外の時間はドラマを観ながら足の皮を剥いていた」だ。

私が出かけなかったのはレコーダーをパンクさせないためだったと言っても過言ではない。

本当にドラマを観まくった。観ては消してを繰り返した。

このまま忘れてしまうのももったいないので、それらの感想を書いていきたい。

 

ほんとにあった怖い話 夏の特別編2023

小学生の時はほん怖が嫌いだった。ボットン便所から女の生首が飛び出てくる話を観た夜は眠れなくて、翌日に熱を出したこともあった。だがそれも昔の話。最近はなぜか平気になった。中国の怪談を読んでいることもあって、むしろ興味が増してきたほどだ。まったく、何が起こるかわからない。

 

「誰にも貸せない部屋」

事故物件の下の部屋の話。オンライン授業の出席記録が消滅するのは怪異の中でも最悪の部類に入るのではないだろうか。元凶である階上の部屋でのラストは、最近めっきり見られなくなった廃墟モノの風情があった。

 

「視線の出処」

病院モノ。強烈な視線やいびきのような呻き声といった目に見えない怪異からの、横たわる包帯男(女?)の出現。オチのインパクトでいったら「転ぶトイレ」に並ぶのではないだろうか。「後から聞いた話ですが・・・・・・」というテンプレがないオープンエンドも気味の悪さを助長させている。ここ数年で一番面白かった。

 

「胸騒ぎの帰路」

交通機関モノ?ではあるが、「奇怪な最終バス」や「真夜中の最終列車」のようなワンナイトモノではなかった。なぜ彼が怪異に遭ってしまったのか。これもまたオープンエンド。気絶オチは中国の志怪小説『捜神記』にも見られる。そう思うと感慨深い。

 

「視えない来客」

こういう話を観る度に、自分や家族が視える体質じゃないことに感謝している。

 

「うしろの正面」

初?の銭湯モノ。安村ナイズドされてはいたが、首から下しか映らない→首が無いというオチには意表を突かれた。番台がいることが気絶オチのリアリティを補強していた。場の因果にも納得。

 

「滞留する痕」

今年の作品の中では一番因果がはっきりしている話だった。これぞほん怖という感じで、納得感も高かった。

 

全編を通して面白かった。昨年は生霊話が多かったが、今年は因果がはっきりしている話とそうではない話のバランスがよかった。ビジュアル的な怖さよりもじっとりとした不気味さの方が強く、怖いを通り越して感動した。志怪小説をもっと読んでみようと思った。

 

金田一耕助(NHK BSプレミアム版)

今年の四月に「犬神家の一族」が放送された。横溝作品は、父のおさがりである『金田一耕助の冒険1・2』(角川文庫)を読んだだけだったが、江戸川乱歩シリーズや『岸辺露伴は動かない』など、この手のNHKドラマが面白かったので試しに観てみた。なんというか、金田一の脆さのようなもの描かれていて、小説との違いに衝撃を受けた。今回、同シリーズが再放送されたので未見の作品を観た。

 

「獄門島

鐘の二重トリックや、犯行に使う物が揃ってしまったことで計画が動き出したという真相が面白かった(古畑の「今、甦る死」はこれの応用だったのか)。金田一の危うさが現代的だと思ったが、それは悪に魅了されたためではなく、出征していたためだとわかった。

 

悪魔が来りて笛を吹く

近親相姦の連鎖という、ドロドロした話だった。『相棒』の輿水作品でも鬼畜の所業やタブーがしばしば描かれるが、こういう類の話の元祖は横溝正史なのではないだろうか。たぶん関係はないが、『相棒』出演者が多数出演していた。フルートの運指から金田一が真相を悟るシーンは凄まじかった。

 

八つ墓村

悪女登場。やっぱり、輿水さんは横溝作品の影響を受けているのではないだろうか。対になる存在の片方を殺害していく犯行と、それがミステリマニアの妄想をもとにしたものだというのが斬新だった(これもまた「今、甦る死」とリンクする)。「もし、と後悔するから人は呪われる」というセリフが心に残った。

 

八つ墓村」は積ん読しているので早く読まなければ。AXNミステリーで古谷一行版の金田一シリーズが一挙放送されたが、三日三晩だったので諦めてしまった。次の機会があったら観たい。

 

合理的にあり得ない ~探偵・上水流涼子の解明~

母に勧められて観た。脚本は『相棒』でお馴染みの根本ノンジさん。原作は未読。録画が残っていた第6話、第8話、第9話、最終話だけしか観られなかったが面白かった。

 

「存在的にあり得ない」

盗聴、潜入、脅迫といった手法で悪党どもに制裁を加える探偵たち。逮捕だけしていく刑事との協力関係も面白い。壁紙の裏に要注意。

 

「恋愛的にあり得ない」

お人好し過ぎる男と詐欺の連鎖。詳しすぎる病名と家電がない部屋に要注意。

 

「親子的にあり得ない」

依頼人が悪党のパターン。その愛人も別の女に貢ごうと殺人計画を企てていて・・・・・・という悪徳の連鎖。本音を聞かせて仲間割れさせる手法はコロンボの第一話でも用いられていた。香水から真実に辿り着く名探偵、流石。

 

「人間的にあり得ない」

最終話の後編。前編は観れなかったが、話にはついていけた。誘拐、爆弾、解体、和解、新事実からの最終決戦。軍事技術の輸出という今日的な問題と、親子関係という永遠の問題。ディープフェイクや後催眠など『相棒』を彷彿とさせる要素が出てきた。どうでもいいことだが、7を「しち」と読んでも催眠状態に陥っていたのだろうか。

 

とめどなき積ん読が解消したら、ぜひ原作も読んでみたい。

 

探偵はBARにいる

プロデューサー、監督、脚本、音楽など、『相棒』の主要スタッフが参加した映画シリーズ。やっと観ることができた。原作シリーズは一冊だけ持っているが、まだ読めていない。

 

探偵はBARにいる

PG12指定作品というだけあって、お色気シーンや流血シーンが多め。謎の女からの電話に探偵が翻弄される、ハードで哀しい物語。

www.toei.co.jp

 

探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』

友人が殺害された理由を探る物語。前作よりミステリ色が強め。犯人の差別的な発言を否定する探偵とその助手。それは啓蒙的な立場からの言葉ではなく、ススキノを愛するがゆえの言葉であった。依頼人による復讐を探偵が止めるという構図はままあるが、復讐の対象者が実は悪党ではなかったというパターンはあまりないのではないだろうか。カーチェイス、アクションなど迫力満点だった。

 

探偵はBARにいる3

シリーズの設定を活かしたオリジナルストーリー。今作のみG指定。前二作のような“重さ”と古沢作品のユーモア、どんでん返しがすべて味わえた。監督が橋本一さんから吉田照幸さんに交替しており、アクションシーンなどでその違いが顕著だ。後で知ったのだが、吉田さんは先に述べた金田一シリーズの監督だった。

 

『~ススキノ大交差点』は特に面白かったのでとっておくことにした。

 

 

<了>