あれこれ『相棒』~シーズン19編①

今週の読了本

碇卯人さんの『相棒 season19 中』-ドラマ『相棒』のノベライズシリーズ。

(2021年、朝日文庫)

フリージャーナリストを名乗る仁江浜という男が右京の前に現れた。彼は少年犯罪と正義について、右京を挑発するかのような議論をふっかけてくるが・・・・・・。やがて彼の真の狙いが明らかになる「オマエニツミハ」、贋作絵画を扱う画商が自殺、その捜査が思いがけない事態を招くことになる「超・新生」、組織犯罪対策五課長の角田が給付金詐欺に遭い、亘が詐欺グループのアジトへと潜入する「欺し合い」など6篇を収録。《連続ドラマ第19シーズンの第8話~第13話を収録》

-裏表紙より引用

 

上巻を読んでから一年以上の間を空けてようやく読了。というのも、このノベライズシリーズは毎年十月から十二月にかけて三か月連続で刊行(上・中・下巻)されるのだが、一冊が千円くらいするので発売直後にきっちりと買うというのが(私にとっては)難しいのだ。

そんなこんなで購入自体がずれ込んだ。

帯なしを買うはめになってしまったので結果的に損をしたのかもしれない。

 

劇場版のノベライズ作品は結末が本編と異なるところに特徴があるのだが、ドラマ版に関しては(時にはアドリブが反映されていたりと)放送内容に忠実になっている。

じゃあ、買わなくてもいいのではないか。

そんな声が聞こえてきそうだが、私はそうは思わない。

 

忠実とはいっても、本編にないシーンやセリフがあったりもするのだ。

それらは碇さんのオリジナルである場合もあるし、放送でカットされたシーンのサルベージである場合もある。

それらを考えたりするのが楽しい。

 

さらに、ストーリーを手軽に確認できるという、本編に忠実であることゆえのメリットもある。

ノベライズ担当の碇さんは「某ミステリ作家の別名」とあるが、彼の正体は鳥飼否宇さんだ。

鳥飼さんの著作を読めば、『相棒』のノベライズ版とのギャップに驚かされること間違いなしだ。

 

 

中巻からでは中途半端かもしれないが・・・・・・

各話のあらすじと感想など

※以下ネタバレあり

 

第七話「一夜の夢」(脚本:金井寛、放送では第8話)

家具会社社長の刺殺体が発見された。彼は与党幹事長の娘と婚約しており、大規模なリストラを行なっていたことから怨恨の線が濃厚だった。遺体発見の前日に幹事長の娘が別の男性と口論している場面にたまたま遭遇していた特命係のふたりは、件の男性-宇野健介に話を聞く。不遜な態度の宇野は極めて怪しかったが、彼には強固なアリバイがあり・・・・・・。

 

脅迫と殺人によって与党幹事長の娘の婚約者の座に収まった宇野。浮世離れしたストーリーは、彼のキャラクターを象徴しているかのよう。そして、宇野がミスリード要員ではない、ストレートなアリバイ崩し回である点でも最近の『相棒』にはない珍しい話だった。ラストには宇野の自殺という衝撃の結末も用意されていた。この結末によって、宇野の特異なキャラクターが完成されたといっても過言ではない。ノベライズ版では視覚的なヒントなどは割愛されていたが、小説としてはより没入できた。金井さんと真野勝成さんはやはり『相棒』に必要な脚本家だと実感した。

 

第八話「匿名」(脚本:杉山嘉一、放送では第9話)

歩道橋から女性が転落死した。第一発見者である主婦・飯島智子の証言によって捜査線上にはひとりの男性が浮上する。被害者のSNSに犯行予告めいた書き込みがあったことから、特命係のふたりは事件に着手。右京は飯島の証言が詳細すぎることに違和感を覚える。そんな中、事件の一週間前に被害者に接触していた弁護士も転落死していたことが判明。彼女の死は事故死として処理されたようだったが・・・・・・。

 

脚本は初参加の杉山さん。第一発見者が犯人という王道パターン。登場頻度やキャスティングからも飯島が事件に関与していることは早々に察しがついてしまうが、先の「一夜の夢」やそれ以前の話からも分かるように、シーズン19ではメインゲスト(犯人)とのやり取りに重きが置かれている(コロナ禍で登場人物が多く出せないという影響もあったか)。半倒叙ともいえるこの形式にあてはめて考えると、犯人が早々に分かってしまうからといって、ミステリとして瑕疵があるとは直ちに断ずることはできない。後の「選ばれし者」と同様に、これでもかと謎と展開が詰め込まれた話はシーズン6あたりを彷彿とさせる。

 

第九話「超・新生」(脚本:輿水泰弘、放送では第10話)

贋作画商の男性が列車に飛び込み自殺した。彼は直前に詐欺罪で自首していたが、プライドの高い被害者たちが軒並み「贋作と知ってて絵を買った」と証言したことから、立件されず帰されたのだ。男性が逮捕されたがっていたことを知った右京は、亘と共に贋作絡みのトラブルについて捜査を開始する。ところが、贋作詐欺の背後には暴力団・扶桑武蔵桜がおり、組長の桑田と昵懇の内村刑事部長によって捜査に横槍が入る。事態はやがて暴力団と半グレによる抗争へと発展する・・・・・・。

 

放送後に実際に暴力団の半グレの抗争が起きたというニュースがあり、驚いた記憶がある。『相棒』は時々、事件を予見するエピソードを放送する。贋作工房に乗り込んだ内村部長の「警察だ!」というセリフ、その内村に重傷を負わせた半グレに対する益子さんの「ただじゃおかねえぞ、こいつら」というセリフがとにかくかっこいい。

内村部長の人格変貌は出雲さんに対する“いびり”への終止符を打ち、彼女の髪形と共に白バイ隊員銃撃事件における重要な指標になる。ただ、そうなると出雲さんがいびられていたのが宙ぶらりんになってしまう。私は当初、部長が退場して社美彌子あたりが部長に就任して、捜一コンビがギャフンと言わされるような展開になると予想していた。しかし、違った。輿水さんは本質的に刑事部長を交代させることで、部長とヤクザの関係にも終止符を打った。この大胆な展開に風間楓子の喪失が関係している可能性は高い気がする。

 

第十話「オマエニツミハ」(脚本:瀧本智行、放送では第11話)

右京の前に仁江浜と名乗るフリージャーナリストが現れた。彼は右京に取材を申し込むが、右京はけんもほろろの対応をする。それでも引き下がりそうにない仁江浜に不穏な雰囲気を感じる特命係のふたり。時を同じくして、区役所職員の撲殺体が発見される。被害者が過去に少年院に入っていたことが判明し、捜査一課は過去の被害者による復讐の線で捜査を進める。現場にも姿を現す仁江浜の狙いが分からない中、第二の事件が発生する・・・・・・。

 

元日スペシャル史上最もシンプルな話だった。脚本は第五話(第6話)「三文芝居」で『相棒』初参加となった瀧本智行さん。監督作品は『イキガミ』、『脳男』など。余談だが、『相棒』が縁で『脳男』の原作シリーズを購入した。

右京さんの過去(罪)が明かされる話としてはシーズン13の元日スペシャル「ストレイシープ」(脚本:真野勝成)が思い浮かぶ。「ストレイシープ」は右京さんに罪の意識を植え付けることも含めて犯人の策略だった。対する今作では実際にあった過ちが描かれた。しかし、その過ちというのも第三者から見れば右京さんに非はないようなものだった。右京さんは過ちを犯さないという前提がなければ成立しない話も多くあるので、そもそも“右京の罪”を描くことに必要性はあるのか。そしてその限界はどこにあるのか。いろいろと考えさせられた。

 

第十一話「欺し合い」(脚本:徳永富彦、放送では第12話)

組対五課の角田課長が給付金詐欺に引っ掛かった。右京は組織の壊滅を目指し、角田を経由して“全日本給付金センター”を名乗る詐欺グループにコンタクトをとる。亘は角田の息子を装い組織の一員と接触、アジトへ潜入し詐欺電話を装って右京に情報を伝える。亘の話に登場する“Z”という詐欺師について調べ始めた右京は、捜査一課をも巻き込んである作戦を実行する・・・・・・。

 

ほとんどが特命係のシーンとアジトのシーンで構成されており、コロナによる撮影の制約を感じさせる。そんな状況を逆手にとった、通話を多用する詐欺絡みの話になっていた。冠城期の徳永作品は「フェイク」(シーズン15)や「少年A」(シーズン16)、南井十シリーズ(シーズン16~18)に象徴されるようなビターな話が多かったが、今作は「怪しい隣人」(シーズン8)、「悪友」(シーズン10)を彷彿とさせるコメディ寄りの話になっていた。暗い話が多いシーズン19において、大胆な展開と即効性の面白さを持つ今作は非常に印象に残る作品となっている。

 

第十二話「死神はまだか」(脚本:輿水泰弘、放送では第13話)

噺家の椿家團路が一門会の公演中に死亡した。『死神』という演目の“しぐさオチ”として倒れ込んだまま亡くなってしまったのだ。團路には持病があったため病死として判断されるが、亘と共にたまたま公演を観に来ていた右京は弟子・怪路の悲しみ方がわざとらしいのが気になって・・・・・・。新生・内村部長の指示のもと、右京は司法解剖に持ち込むために事件性を示すべく、独自の捜査を開始する。

 

セクハラの描写が物議を醸した作品。美醜の基準がメディアに規定されるように、不愉快な描写をどう見るかも世相に影響されてしまうことを実感した。私が「プレゼンス」前後篇(シーズン19)や「超・新生」を初めて観た時に思ったのは「これ、荒れるな」ということだった。もちろん、そんなことを私が気にするのはおこがましいというものだ。ただ、ちょうど放送年の前後に性差別やルッキズムに関する問題が噴出していたので、私自身が昔よりも敏感になっていたのも事実だ。

「Wの悲喜劇」(シーズン5)の再放送を観た時もそうだった。初見の時は純粋に楽しめたのに、それができなくなってしまっていた。太った人を便器にはめて餓死させるというのは斬新だ。しかし、確かに見方によっては太っている人を貶めているように思える。ただし、ここで重要なのは殺された理由が「太っているから」ではないことだ。浮気に関するミスリードとして太っている人物は登場したが、この事件の動機は単に「浮気をやめて欲しかった」ことなのだ。「特命」(シーズン7)の山口毅一の死のように、当然ドラマとしての注意は払われている。つまり、これらの話を観て変に気を揉む必要はないのだ。

話を「死神はまだか」に戻す。今作におけるセクハラ描写は、動機をミスリードする役割を担っている。弟子たちは師匠の名誉を守るために彼を殺害したのであって、私怨などでは断じてないというどんでん返し。ハラスメントを助長する業界構造の戯画化がなされていると考えることはできないか。いろいろと考えられるが、不愉快な描写を脚本家や監督の主義主張だと単純に捉えるのは早計だということは確かだ(輿水さんがセクハラを良しとしているわけでも、櫻井武晴さんが警察をバカにしているわけでもないことは自明なはずなのだ)。にもかかわらず、こういった話が荒れるのは、櫻井さんが『科捜研の女 コンプリートBOOK』のインタビューで語っていたように、視聴者の不愉快描写への免疫低下の影響かもしれない。

 

今作は先に述べた「Wの悲喜劇」のような役割を担っている。具体的に言えば“好奇心の人”として右京さんを軌道修正することである。それに加えて今作では「容疑者六人」(シーズン16)以降に顕著な、正直で、妄想力たくましい、新たな“杉下右京像”が提示されているのだ。さらには、出雲さんにこれまでの捜一にはない役割を与え、“事件性を示せさえすればよい”という、新生・内村部長のもとの新たな捜査形式(特命係としてのゴール)が示されているのである。

必ずしも事件の全貌を解明しなくてもよいという“ニューノーマル”。それは、特命係対犯人という物語のコアと、いかに犯人を落とすかという、ミステリの面白さを欠くものではないのだ。最近『古畑任三郎』を観始めた者としては、そんなことも考えてしまうのだ。ただ、『相棒』は倒叙ミステリではないので、この形式の話はなかなか観られるものではないだろう。そのぶん「死神はまだか」を観て、ミステリドラマに求められるものについて考える。これはおこがましいことなどではなく、単に私の趣味だ。

 

 

終わり

なんだかんだで書き過ぎてしまった。保険をかけるわけではないが、ここに述べた感想は書いた時点での私の感想である。観る度に印象が変わる、それが『相棒』だと私は思っている。私がストーリーレビューに終始しないのも、そんな理由からだ。この量の文章をノベライズ版一冊ごとに書くのはアレかもしれないが、今後も続けていきたいと思う。

 

 

<了>