『相棒』考察~「再会」編

『相棒 season21』第19話「再会」(脚本:徳永富彦、監督:守下敏行)

 

あらすじ

右京(水谷豊)薫(寺脇康文は、角田(山西惇)から頼まれ、奥多摩の山中に足を運ぶ。大きな物音がしたという通報の確認を押しつけられたのだ。ところが、山間の集落で聞き込みをしていたところ、二人は何者かの襲撃を受けて拉致されてしまう。監禁場所を抜け出すことには成功するが、襲撃犯の目的も人数も不明で、スマホなどの通信手段も奪われていた。背後から追跡者が迫る中、右京と薫は敵を惑わすため二手に別れる。しかし、そこは地図もコンパスもない山の中。二人は遭難寸前の状態で歩き回ることに。そんな中、右京は偶然見つけた山小屋で、怪しげな男と遭遇。男は1か月ほど前、白装束に身を包んだ謎の集団を目撃したというが…!?いっぽう薫は、集落に住む山部守(田中奏生)という青年が、行方不明になっているという情報を耳にする。

 

孤立無援の山中で追い詰められる特命係

白装束の集団と謎の爆音の関係は!?

偶然の“再会”が驚きの結末をもたらす!

 

薫と別れた右京は、怪しげな男と次々に遭遇する。彼らの名前は「カンベ」、「トオル」、「カブラギ」と、右京の歴代の相棒の名前と一致していた。奇妙な偶然に驚きつつ、彼らの証言から手がかりをつかんでいく右京。一方の薫は追跡をかわして下山、応援の要請に成功する。集落に住む青年を捜しに山へ戻った薫と右京が再会した時、意外な真相が明らかになる。

事件解決後、湖の畔を歩くふたり。「右京さんは、良かったですか?俺とまた、一緒に・・・・・・」と問う薫に、「君との再会は運命だと思っています」と答える右京。万感の思いの薫に呼びかける声が。やがて意識が遠のいて――。

小料理屋『こてまり』で目を覚ました薫。右京とこてまり、美和子もいる。奥多摩での事件は、右京からの言葉は、全て夢だったのだろうか。ふとポケットを触ると、そこには松ぼっくりが入っていた。それは猿峨見山で薫が拾ったものだった。事件も、「君との再会は運命だ」という右京の言葉もやはり本当だったのではないか。そう問う薫に、曖昧な笑みを返す右京で――。

 

「最後の灯り」(S1#10、脚本:櫻井武晴)を彷彿させる冒頭の展開もさることながら、右京が歴代相棒と同じ名前の人物たちと遭遇することや、大オチが「夢オチ」であるという、ある意味で「新・Wの悲喜劇」(S6#17、脚本:輿水泰弘)を超えた展開など、特筆すべき点が多い今作について考えていく。

 

事件は現実説

夢オチなので様々な解釈ができるが、爆音に端を発した奥多摩での事件は現実の出来事だと私は考えた。その根拠は三つあり、いずれもラストの『こてまり』のシーンからである。一つ目は、目覚めた薫の「山、走り回ったからなあ」というセリフに誰も異を唱えていないこと。二つ目は、薫のズボンのポケットに猿峨見山で拾った松ぼっくりが入っていたこと。三つ目は、右京がその松ぼっくりを「猿峨見山の松ぼっくり」と言ったことである。事件が薫の夢の中での出来事であるならば、右京が山の名前を知っているはずがない。すなわち、事件は現実に起きていたのではないだろうか。

 

夢オチの先例

事件が現実だと仮定すると、なぜわざわざそれを夢オチとして描いたのかという疑問が湧く。それを考えるために、まず夢オチについて調べてみる。

そのパターンは「結末に夢であったことを発覚させる」種明かしの構図が主であり、作品中に伏線・理由付け、あるいはミスリードを誘うような仕掛けがないと成立しない。

夢オチ - Wikipediaより引用

飛び道具としての印象が強い夢オチにも伏線や理由付けが求められることが分かった。『相棒』における夢オチの先例である「新・Wの悲喜劇」の場合、伏線は右京と薫が平時よりもコミカルに描かれていることであり、夢オチの意義は妻による夫殺しの物語であるとミスリードすることだといえる。

 

夢オチの伏線と意義

今作「再会」で、夢オチの伏線として考えられるのは、カンベの部屋のカレンダー、時計、「TOILET」の文字が反転していること、猿峨見山登山口のバス停にベンチがふたつもあること、カブラギが地元の人間であるにもかかわらずスーツ姿であることの三つである。そして、それらを右京が指摘していないことも不自然である。

今作で最も不自然なのは、右京が歴代相棒と同名の人物と次々に遭遇したことである。これは単にミスリード要員の役名に遊び心を加えたファンサービスとも受け取れるが、だとしてもこの偶然はあまりにも出来すぎである。私は歴代相棒との邂逅の部分が薫(の記憶)による脚色だと考えた。そして、その出来すぎを成立させることが夢オチが用いられた理由であると考えた。

 

根拠①スタッフクレジット

上に記した考えの根拠は二つある。一つ目は、「山部守」以外のゲストの役名がスタッフクレジットに表示されなかったことである。実際のクレジットでは、カンベは「男A」、トオルは「男B」、カブラギは「男C」と表示された。彼らが実在する同名の人物であるならば、「男○」というような役名にはならないのではないか。反対に、「山部守」という役名が表示されたことが、彼が実在することを示しているのではないだろうか。

 

根拠②共通点

二つ目の根拠はカンベ、トオル、カブラギが、名前以外にも歴代相棒との多くの共通点を持つことである。

カンベ(男A)と神戸尊

・山での出会いと、山小屋(別荘)という要素が「特命」(S7#19、脚本:輿水泰弘)と重なる。

・ガス入りウォーターを飲んでいること。

・「お言葉ですが」というセリフ。

・別れ際の会話が現在の右京と尊の関係を表している。

トオル(男B)と甲斐享

・バス(停)での出会いと、前に座った右京が振り返って話しかけるという構図が「聖域」(S11#1、脚本:輿水泰弘)と重なる。

・「どこだっていいだろ」というセリフ。

・同じ業界に身を置く父親に干渉されていることと、年上の上司と父親に迷惑をかけた過去を持つこと。

・「いま思えば、ただ認められたくて空回りしちゃってたのかも」というセリフは徳永さんの「ダークナイト」(S13#19、脚本:輿水泰弘)への解釈か。

カブラギ(男C)と冠城亘

・お堂(寺)という要素が「フランケンシュタインの告白」(S14#1、脚本:輿水泰弘)と重なる。

・初対面の会話(右京:「どちら様でしょう」、亘・男C:「人に名前を聞くならまず自分から名乗るのが礼儀でしょう」、右京:「ごもっとも」)。

・別れ際の会話が現在の右京と亘の関係を表している。

 

亀山薫との“再会”

山の麓で再会する右京と薫。後ろから現れた右京に薫が驚くという構図は「ペルソナ・ノン・グラータ~殺人招待状」(S21#1、脚本:輿水泰弘)での右京と薫の再会のシーンと重なる。カンベ、トオル、カブラギとの遭遇、そして薫との再会は、右京がこれまでに経験した“出会いと別れ”と重なっている。山を歩く右京の映像がスローモーションになる演出も考え合わせると、この話では人生における“出会いと別れ”が山での“小さな縁”に重ねられていることがわかる。二手に分かれたことはシーズン7での右京と薫の別れを表し、麓での再会はシーズン21でのふたりの再会を表している。右京が山中で出会う男たちに歴代相棒の名前がついていたのは、その再会をよりドラマティックなものにするためであり、その出来すぎた偶然を成立させるために夢オチが用いられたのではないだろうか。

 

妄想

薫は奥多摩に行く道中に、右京から歴代相棒のことを聞いたのではないだろうか。さらに奥多摩からの帰りには、右京から山での出来事を聞いたのではないだろうか。そして話を聞いた薫は山小屋(別荘)から神戸尊を、バス(停)から甲斐享(甲斐峯秋とは既に知り合いであるため「トオル」が強く記憶された?)を、お堂(寺)から冠城亘を連想したのではないだろうか。それらが結びつけられた結果、薫は“右京が山中で歴代相棒と同名の人物と次々に遭遇するという脚色がされた夢”として事件を追体験したのではないだろうか。

 

まとめ

「再会」は、“薫が見た夢”という体をとることによって、現実ではあり得ない偶然を成立させ、起きた事件を合理的に脚色した史上初の作品である。そして、亀山薫第一期から現在までの『相棒』を支えてきた数少ない脚本家であり、趣向を凝らした作品を数多く残してきた徳永富彦にしか書けない作品でもある。

 

 

<了>