ノー変哲

目覚めると、寒気に見舞われた。体が熱いので風邪を引いたものと思ったが、単に気温が低いだけだった。良かった。

一週間前に比べると、えらく過ごしやすくなった。出かけるときの気候は、いつもこうあってほしいものだ。

 

『相棒』の初回放送日とゲストの情報が解禁された。いつもなら公式サイトのリンクをLINEで友だち(親しい者から、それほどでもない者にまで)に一斉送信して宣伝するのだが、今年はやめておく。そろそろウザがられるだろう。

そんな折、今度はティザー映像が公開された。身体が熱くなる。やはり一斉送信してしまおうか。急に宣伝をやめたら、友人たちも心配するだろう。私にとって公式サイトのリンクは、字のない葉書のようなものだ。保険の勧誘はしないので、時候見舞いだと思って許してほしい。

 

もみあげがマスクの紐に乗っていた。二か月に一度の散髪のサインだ。面倒だが、もうかれこれ十年近く通っている床屋へ。「一か月くらいなんですけど、伸びたぶんくらいで。眉毛と耳は出るくらいで、刈り上げはしないでください」とは、もう言わない。校則が厳しかった中学時代は終わったのだ。

客は私のほかに一人しかおらず、入店してそのまま施術を受けられた。私が行くときだけは、いつもこうあってほしいものだ。

何年前のことだろうか、アツアツのおしぼりがウェットティッシュに代わってしまったのは。おしぼりでホカホカになった頬が夜気で引き締まる感覚(特に冬)が好きだったので残念だった。だからといって、店は変えない。変えられるわけがないじゃない。

 

机に置いていた時計が遅れ始めた。起きがけや帰宅後につまみを回して時間を合わせてやる。日を追うごとに遅れはひどくなった。それでも私はつまみを回す。電池を交換するのが面倒なだけなのだが、こまめにつまみを回すことで、ペットに対する愛情のようなものが芽生えてきたのだ。

秒針が完全に止まったときはつまみを軽く回し、ホコリが積もったら拭いてやる。卓上時計が無くても不便ではない環境にあるので、もうしばらくは可愛がろうと思う。

 


今週の読了本

村上哲見さんの『漢詩の名句・名吟』-名作漢詩の解説書。

(2022年、講談社学術文庫)

漢詩は、平安時代から現代まで、多くの日本人の心をとらえてきた。その歴史・地理的な背景や、日本の漢詩受容を押さえて、丁寧に作品を読み解き、漢詩の豊かな抒情の世界に遊ぶ。奔放自在な「詩仙」李白、謹厳実直な「詩聖」杜甫、閑寂の自然詩人・王維など、珠玉の名作を読む醍醐味を味わいつつ、自由闊達に読むことをも可能にする最良の入門書。

-裏表紙より引用。

李白と酒」「月の光」「登楼・重陽」「杜甫の律詩」「蘇州詩話」「閑寂・江南の春」「旅愁シルクロード」「唐詩と日本人」という八つの章で構成され、テーマごとに分類された名作漢詩に著者の解説がついている。

 

第二外国語に中国語を選択しておらず、なおかつ中国文学の知識も皆無だった私が、中国文学のゼミに入るにあたって購入した本。同時に買った中国哲学史の本ともども寝る前にチマチマ読み進めてきた。「国破れて山河在り~」くらいしか知らなかった私でも楽しむことができた。

著者の解説がエッセイのような雰囲気でとても読みやすく、詩が詠まれた背景や日本文学へ与えた影響を理解することができた。授業で中国の地理を学んでいることも理解の助けになった。例えば、黄河や長江の位置を把握しているのとそうでないのとでは、この本の面白さは変わってくるだろう。

 

特に興味深かったのは、(出身地からして)訪れたことのない土地を詩に詠んだ人間がいたということ。一度も訪れたことがない名勝を、先人たちの詩をたよりに想像で詠む。日本にもそういう作品はあるのだろうが、写真が無い時代に情報だけで見知らぬ土地のことを詠むのはどういう気持ちなのだろうか。不思議だ。

 

古い時代のことを語ろうとすれば、その時代ではどうであったかということを、よほどしっかり念頭においておかないと、つい錯覚を起こしてしまいます。津阪東陽という人はなかなか偉い学者なのですが、『全唐詩』で陳子昻の詩をみつけたとき、政宗のころには『全唐詩』が存在しなかったことをつい失念していたのではないでしょうか。

-224、225頁より引用。

最終章「唐詩と日本人」の一節。この章では、仙台(千代)という地名の由来が漢詩にあったことにまつわる諸説が紹介されている。学者の中には時期的にありえない説をうっかり唱えてしまった人もいたらしい。ついこの間レポートで似たようなことをしてしまった私には耳が痛い話だ。発見に飛びついて検証を怠ってはいけない。肝に銘じておこう。

 

「小難しい本」という、解説書に対するイメージを変えてくれた一冊だった。

 

今週の些事

・太ももで筋肉ルーレットができるようになった。スーツが入らないかもしれない。

・フィルム映画のパンチマークを実際に見た。

 

 

<了>