1
「それにしても、便利な時代になったものだね」
テーブルにはワイングラスがニ脚。
しかし、返事はない。お構いなしに、男は続ける。
「君との再会だって、インターネットのおかげに他ならない」
またしても、返事はない。
男はボトルを引き寄せ、空になった自分のグラスに赤褐色の液体を注いだ。
「それにしても、君が塾の先生になっていたとは驚いたね」
ワインを一口飲み、つまみのウズラの卵を口に放った。
2
「ウズラの卵で窒息死ですか」
「しかも死亡したのは二十代の男だ」
「確かにあまり聞かない事故ですけど。全くあり得ないことではないでしょう」
「ところがこの事故には奇妙な点があったんだーー」
3
アパートの一室で発見された男性の遺体の喉にはウズラの卵が詰まっていた。
部屋には中身が入ったワイングラスがニ脚あったため事件性が疑われたが、第一発見者の証言から現場が密室だったことが分かった。
さらに調べを進めたが、部屋からは男性以外の痕跡は一切見つからなかった。
4
「仮に犯人がいたとして、グラスを持ち去るなりしないのは偽装として中途半端ですね」
「その通り」
「自殺の可能性は無いですか?」
「ウズラの卵を飲んで?まさか」
「ならば男性は、なぜ“もう一人いたこと”を装ったのか」
「その“もう一人”について、さらに奇妙なことが分かったんだーー」
5
テーブルの下から、女性のアップショットが印刷されたA4のコピー用紙が発見された。
その紙の短辺には短いテープが貼られており、男性が座っていたと思われる椅子の対面にあったハイバックチェアの背もたれには、テープの貼り跡があった。
背もたれにはシュリンクレザーが張られていたため、遺体が発見されるまでに紙が剝がれてしまったのだろう。
アップショットは、某有名塾の講師紹介ページからダウンロードされたものだった。
部屋にあったパソコンのブックマークバーに、そのホームページは登録されていた。
男性はその画像を自室のプリンターで印刷して、椅子に貼り付けた。
“彼女と飲んでいた”としか思えなかった。
6
「男性の知り合いだったんですか?その女性は」
「中学時代の同級生だった。本人から話を聞いたから間違いない。今はアルバイトで塾講師をしている」
「特別な関係にはなかったと」
「彼女いわく卒業以来会っていないし、連絡先も交換していないそうだ。男はクラス会にも出席していなかったらしい。ちなみに、彼女がストーカー被害に遭っていたという事実も無かった」
「じゃあ、男性は画像情報として再会したかつてのクラスメイトと疑似恋愛をしていたんですか?」
「ところが、そうではなかったんだーー」
7
部屋にあったクリアファイルから、別の男女のアップショットが印刷されたA4用紙が一枚ずつ見つかった。
一枚は剣道着姿の男性の画像で、某大学運動部の部員紹介ページからダウンロードされたものだった。
スーツ姿の女性の画像は、某大学の文芸コンクール受賞者へのインタビュー記事に掲載されているものだった。
ふたりはそれぞれ、男性の小学校・高校時代の同級生だった。
印刷されていた三名と男性が、在学中に親しくしていたという事実は確認できなかった。
8
「小・中・高が揃いましたか。三人の元クラスメイトたちに繋がりは無さそうですね」
「ああ。調べた限りでは、見つからなかった」
「かつてのクラスメイトの現在の姿を印刷する男・・・・・・。奇妙ですね」
「まったくだ。旧交を温めたいのなら同窓会か、今の時代ならSNSだろう?しかし男は同窓会には出席せず、SNSもやっていなかった」
「SNSをやっていなかった・・・・・・。なるほど」
「そろそろ、君の意見を聞かせてくれないか」
「分かりました。ただし、脚色を多分に含みますがーー」
9
頭の後ろで手を組み、ぼんやりと天井を眺める。
まばらに通る自動車のヘッドライトが、玉響のように天井を駆けていく。
近所の店や家の灯りが徐々に減っていくが、完全な暗闇にはならない。
曖昧になっていく部屋の輪郭が、男に古い記憶を呼び起こさせる。
狭い教室、冷えた廊下、聞くともなしに聞こえてくるアイツとアイツの会話。
誰も覚えていないような些細な記憶に縋って、男は生きていた。
寝付けない夜、男はパソコンを開いた。
検索エンジンに懐かしい名前を入力していく。背徳的な高まりが訪れる。
しかし、そう簡単に旧友の現在を知ることはできなかった。
やがて男は、数名のクラスメイトと再会した。
自信と努力に裏打ちされた彼らの笑顔は、男の存在を矮小にした。
彼らはきっと男を思い出すことなどないのだろう。男はそう思った。
今まで誰にも言えなかった衝動が男を突き動かした。
男は死を決意した。
10
「ちょっと待ってくれ。事故じゃないのか?」
「あくまで僕の解釈の話です。実際には事故かもしれません」
「とりあえず、説明を頼む」
「僕が気になったのは、三人がただの元クラスメイトだったことです。昔の知り合いの現在を知りたいと思ったとして、普通なら親しかった人間を調べそうなものではないですか?」
「でも、男はそうしなかった」
「そう。でもそれは、事実に基づく推測でしかない」
「え?」
「調べたのに出てこなかったのだとしても、同じ結果になると思うんです」
「そうか、普通は知り合いの名前をネットで検索したところでヒットしない」
「ええ。同姓同名の人物で溢れているでしょうから、知り合いに辿り着くためには相当な根気と時間が必要になります。だから男性は、検索の対象を元クラスメイトにまで広げた。その結果、三人と再会した。塾や大学のホームページは個人のブログなどに比べると閲覧数が多いでしょうから、検索上位に表示されたはずです」
「そこまでは分かった」
「そこから僕は、三人の共通点を見つけました」
「共通点?」
「アルバイトの塾講師、大学の剣道部員、文芸コンクール受賞者。一見すると共通点は見当たりませんが、大雑把にはこんな風に捉えることができませんか?
ーー“彼らは夢に手が届きかけている”と」
「飛躍し過ぎだと思うがね」
「それは認めます。僕は三人のことを知りませんから。ですが、連想ゲームなら得意です。僕はまず、塾講師から教師を連想しました」
「それで?」
「実情はともかく、彼女を教員志望とすれば後は簡単です。サークルではなく運動部に所属しているのなら、将来その道で生きていく可能性は高い。文芸コンクール受賞者なら、小説家としてデビューする可能性も十分考えられます」
「確かにそう考えれば、彼らを“成功者”とみることもできるな」
「男性は予期せず“成功した同級生”と再会してしまった。その心境は複雑だったと思います」
「それで自殺したのか」
「僕が自殺だと思った理由はもっとシンプルに、現場の状況があまりにも不自然だったからです。奇妙な状況を生み出したのが彼自身である以上、彼の死もその一部であると考えた方が自然だと思いました」
「計画的ながら、自殺らしからぬ自殺だった・・・・・・?」
「そのちぐはぐさが、彼の狙いだったのだと思います」
「狙い?」
「捜査員の記憶に残ることですよ。成功者たちとの再会によって、彼は思い込んでしまったのではないでしょうか?
ーー“自分は記録にも、記憶にも残っていない”と」
「またしても飛躍だな」
「おっしゃる通りです。ですが、死因、現場、新事実のどれもが奇妙だったのは事実です。これは百戦錬磨の捜査員にとっても、記憶に残るものだった。現に、あなたはこうして僕に意見を求めている」
「・・・・・・」
「僕の解釈は以上です。さっきも言いましたが、ほとんどが脚色です。信じろとは言いません」
「君の解釈では、事故という結論が覆ることはないだろう。でも、不思議と信じられてしまう。関係者について調べた俺だからこそ、それが真実に思えた。相変わらず話を作るのが上手いね、君は」
「それが仕事みたいなものですから」
<了>