■Ⅷ~訣紊記

10 靴紐と烏

男が道を歩いていると、履き物の紐が解けた。結い直すために屈むと、先刻行き違った女も屈んでいるのが目に入った。彼女も同様かと思っていると、俄かに「かあ」と鳴く声が聞こえた。男が声のした方を見遣ると、女がいた辺りから一羽の烏が飛び立った。烏は紐を咥えており、女の姿はもうどこにも見当たらなかった。

 

11 ハトムシの怪

平成二十五年。男が風呂に入っていると、外で足音がした。明らかに人の足音であったが、窓から外を窺っても人影は見当たらなかった。日を改めて外を確認してみると、そこにはハトムシの死骸が夥しく散らばっていた。

 

12 似る男

周囲に影響されやすい男がいた。同居する者の中で最も位の高い者に、姿かたちのみならず、あらゆる部分が似てきてしまうのである。親元で暮らしている時はさほど問題にならなかったが、住み込みで働いている時などはその家の主人に似てきてしまうので、その家の者はみな混乱した。

やがて男も結婚し、一家の主となった。家長になったことでこの現象は治まったが、ある者が「亭主関白など時代錯誤だ」と言うと、その影響か男はだんだんと妻に似てきたのである。

この出来事は、夫婦が互いに似てきたり、家飼いの動物と飼い主が似てくる現象の原初だと言われている。

 

13 寒天を吸う男

■■■■■(判読不能)。■■(判読不能)の地に寒天を吸う男が現れた。そのさまはまことに奇妙で、まるで■■■■■■■■(判読不能)のようであった。

 

14 冬の燕

昭和五十五年。豆を忌むひとりの児がいた。ある時、食事に出された煮豆を試みに耳に詰め、隠滅を図ったところ、豆は耳から取れなくなってしまった。そのうえ、潰れた豆からは呻き声が聞こえてくる。児は恐ろしくなり、どうにかして豆を取り出そうとしたが、豆はかえって奥まってしまった。懊悩しているうちに、どこからともなく一羽の燕がやってきて、耳の豆をついばんで去っていった。

この出来事があったのは冬であり、燕の季節ではなかった。

 

15 二匹の家守

平成十五年。二匹のヤモリが同じ方向に頭を向けた。その日は満月だった。

 

 

<了>