■Ⅳ~硬貨の王様

1

人と人のつながりが薄い時代になったというが、そんなのは間違いだ。そうでなければ、俺のような寸借詐欺師はとっくに絶滅していなければおかしい。とはいえ、やりにくくなったのは事実だ。歩きスマホをしている奴やイヤホンをつけている奴がやたらと増えた。現金を持たない奴もいる。やりにくいったらないが、そうではない奴を狙えば済む話だ。俺はしぶとく生きていく。

今日のターゲットが出てきた。この店は今時分珍しくキャッシュレス決済に対応していない。つまり、この店から出てくる奴は現金を持っている可能性が高い。こいつも例外じゃないだろう。イヤホンもしてない。毛染めもピアスもしていない、真面目そうな奴。上京して一人暮らしを始めたばかりの大学生とみた。こいつなら財布とスマホを落とした哀れな老人に電車賃を恵むくらいのことはしてくれるだろう。

絶好のカモだ。

 

2

時刻は午後十時になりました。『夢見るドリ子のドリームセラピー』、お相手はわたくし、渡ドリ子です。この番組は、悩めるリスナーの皆さんから募集した理不尽話にお望みのオチを処方する、相談室ラジオでございます。

それでは早速、今晩最初のおたよりから。K県在住、ケンザキイカさん、二十代学生、男性の方からです。

 

ドリ子さん、こんばんは。いつも楽しく拝聴しております。

先日、とても悔しい出来事があったのでメールを送らせていただきます。

とある平日のことです。その日は午後の講義が休講になったので、駅の近くにあるセカンドショップを冷やかしていました。掘り出し物は特になかったので店を出たところ、突然おじいさんに話しかけられました。建設工事の音がうるさくて聞き取りにくかったのですが、自宅までの道のりを尋ねているようでした。彼が口にした地名は私の地元に近かったので、私は乗り換え経路を調べて、結果をおじいさんに伝えました。

しかし、彼の反応は芳しくありませんでした。どうやら、電車ではなく徒歩での経路を調べて欲しかったようなのです。しかし、どう考えても歩いて行ける距離ではないのです。一応調べましたが、距離にして三十キロ、徒歩七時間半の道のりでした。再度確認をしたところ、おじいさんは縋るように語り始めました。

ここへは仕事でやってきた。来る途中の電車で財布とスマホを紛失した。所持金が六十円しかない。妻と別れたので頼れる人間がいない。七百円あれば電車で帰れる・・・・・・。

語りはいつの間にか要求に変わっていました。冷静になって考えるとおかしな話ですが、その時は焼けつくような日差しと工事の騒音、なにより会話の主導権を握られてしまったことで混乱していたのです。

私はお金を崩すという口実でセカンドショップの店内に逃げ込みました。

入口から死角となる書架の陰に身を潜め、こっそりと財布の中身を確認しました。

財布には五千円札が一枚と五百円玉が一枚、その他に小銭が数枚ありました。しかし、切りよく七百円はありませんでした。

店に逃げ込まず、お金は渡せないとキッパリ断れば良かったのですが、私にはそう切り出す勇気がありませんでした。

茫然と頭を動かしていると、突然肩を叩かれました。おじいさんが私を探してやってきたのです。催促するような態度に腹が立った私は抵抗を試みました。このあたりの記憶は曖昧なのですが、たぶん悪態かなんかをついたのでしょう。近くでスマホ片手にトレカを物色していた男性に舌打ちされたのを覚えています。

店外に出た私は、おじいさんに五百円玉を渡しました。七百円には及ばず、無駄な買い物をしなくても済む。最悪なりの最善の選択に思えました。とにかく一刻も早く、負け試合を終わらせたかったのです。

こうして私は寸借詐欺に遭いました。

長々と不愉快な話を失礼しました。ドリ子さん、どうかこの出来事に終止符を打ってください。今の私は、誰かから五百円を騙し取るまで納得がいかないのです。

 

3

ケンザキイカさん、お気持ちお察しします。さぞ悔しかったことでしょう。

実は私も遭ったことあるんです、寸借詐欺に。

私の時はおじいさんではなく、制服を着た男の子でした。

完全に不意打ちなんですよね、こういうのって。

だから、後から考えると「そんな訳ねーだろ!」って思う話に呑まれてしまって。

面と向かっての頼みを無下に断るのって難しいですよね。

 

ケンザキイカさん、起きてしまったことは変えられません。

ですから、ここから先は私の出番です。

あなたのための結末をご覧にいれましょう。

 

4

七百円という要求額は我ながら絶妙だと思う。切りのいい数字で、なおかつ五百円からも千円からも近い。七百円きっかりを持っていない人間や、七百円を渋る人間には五百円という逃げ道をつくることができるのだ。あわよくば千円をせしめることもできるが、俺の狙いはあくまでも五百円。人間、謙虚じゃなきゃな。

今日の収穫も五百円だった。店の中に逃げ込まれた時はどうなるかと思ったが、なんとかなった。見立て通り、押しに弱い奴だった。

 

ノックの音がした。

誰だ。まさか奴か?しかし、つけられていた気配はなかった。

外を覗こうにも、このボロアパートにはドアスコープなんて上等な代物は無い。

仕方なく声を掛ける。

「どちら様でしょう?」

「上に越してきた者です。ご挨拶に参りましたー」

ドアを開けると、ひとりの男が立っていた。

どこかで見かけたことがあるような気もするが、思い出せない。

「二階に越してきた田中です。ご挨拶に参りました」

田中は挨拶を繰り返し、右手に提げていたビニール袋を掲げた。

 

「ご迷惑じゃなかったですか」

「いやいや、こっちも退屈してたんだ。それに、つまみ持参とありゃ中にあげない訳にはいかないよ」

「飲めない方だったらどうしようかと思ってお酒は買わなかったんですけど、失敗でした。すみません、ご馳走になっちゃって」

「いいんだよ、どうせ安酒だ。誰かと飲むことなんてこの先ないだろうし」

「そんな、これからも飲みましょうよ」

 

しばらくすると、田中は懐からスマホを取り出して動画を流し始めた。

頬が強張るのが自分でも分かった。

そこには、セカンドショップの店内での俺と奴の問答、そして店外で五百円玉を受け取る瞬間が映っていた。

「未来ある若者からお金巻き上げて恥ずかしくないの?おじいさん」

 

「・・・・・・いくら欲しい?」陳腐なセリフは自分でも驚くほど震えていた。恐怖からくる震えではない。悔しさからくる震えだ。過去の記憶が疼いた。騙される側だった時の記憶が。

「僕も転売だけじゃ生活キツイんすよね。とりあえず五万でどうすか?」

「そんな金ウチにはない!」

「チッ。だったら警察行きます?僕が証言すれば寸借詐欺だろうが立件できますよ、立派な犯罪ですから」

「そんなことしたら、お前もーー」

遮って田中は言った。

「捕まるとでも?それはどうですかね。転売は犯罪じゃないからなー。試してみます?」

 

「・・・・・・いや、いい。五万払う」

なけなしの五万円を渡すと田中は去って行った。

 

あの舌打ちで思い出した。あの時店にいた男だ。俺と奴の問答から犯罪の匂いを嗅ぎつけて、家までつけてきた。当然、田中でもなければ、アパートの住人でもないだろう。

迂闊だった。油断していた。騙されるでもなく、奪われた。

田中は「また来る」とは言わなかった。しかし、家を知られてしまっている。こっちは相手の家を知らない。圧倒的に不利だ。

次に田中が来るのはいつだ。一か月後か、一週間後か、明日か、それともーー。

全身に力が入らず、思わず畳に倒れ込んだ。夏の日差し、工事の騒音、微睡。

“人と人のつながりが薄い時代になったというが、そんなのは間違いだ。”

自嘲的にそんなことを思った。

 

5

ケンザキイカさん、いかがだったでしょうか?

人を信じることの大切さを説くことよりも、罰を願うことの方が今のあなたの傷を癒せると思い、私には珍しくバッドエンドにしてみました。溜飲は下がりそうですか?

是非また、お便りお待ちしております。

 

それでは、続いてのお便りです。東京都在住、E.Tさんーー。

 

6

渡ドリ子様

お久しぶりです。ケンザキイカです。

先日はお便りを採用していただき、ありがとうございました。

“誰かから五百円を騙し取るまで納得がいかない”という私の心情を汲んだ結末に感動しました。録音を何度も聞いているほどです。

あのおじいさんに天罰を下すのが、店にいたあの男性だったことに驚きました。そんな訳はないとは分かっているのですが、ドリ子さんの手にかかると信じられてしまうので不思議なものです。

 

そのうえで、ひとつ気になることがあります。

ドリ子さんの物語の最後の方にあった、“全身に力が入らず、思わず畳に倒れ込んだ。夏の日差し、工事の騒音、微睡”という部分です。

おじいさんの部屋に“工事の騒音”が届いていたのは何故でしょうか?

田中がおじいさんをどれくらいの距離つけていたのかは文面からは分かりませんでしたが、寸借現場に工事音が響いていたことは私のお便りに書いてあってことですから、件の一節は“おじいさんが現場近くに住んでいること”を暗示していると思いました。

言われてみれば確かにそうです。寸借詐欺師がわざわざ交通費をかけて詐欺を働くとは思えないからです。

 

しかし、これはドリ子さんらしくない、と私は思いました。

なぜなら、あなたはお便りに干渉しない範囲で物語を紡ぐからです。

おじいさんや田中の身体的特徴や服装が描写されなかったのは、私のお便りにそのことが書かれていなかったからです。下手なことを書いて、私の記憶と矛盾しないようにするための配慮でしょう。反対に、セカンドショップにいた男性に田中という偽名をつけたのは、私が彼の名前を知り得ないと踏んだからでしょう。

つまり、お便りの具体的な内容に触れそうな部分では慎重に、そうではない部分では大胆に創作が行われているのです(本人に対してこんな説明をするのは無意味だとは百も承知ですが、ヘビーリスナーの戯言だと思ってスルーしてください)。

ドリ子さんの、この方針がブレたことはこれまでにありませんでした。

 

だからこそ、おじいさんの居住区を暗示したことが引っかかるのです。

工事の騒音は確かに私のお便りに書かれていたことです。

ですが、そこから生まれた暗示は、創作とするにはあまりにも生々しいと思いました。

これは創作というより推理です。

あなたは何故、生々しい推理をわざわざ創作に組み込んだのか・・・・・・。

 

ヒントをくれただけだ。そう考えることもできます。

あなたの推理を信じれば、私はおじいさんと再び会うことができるかもしれません。

しかし、もしそんなことになったら、私は何をしてしまうか分かりません。

当時の私は“誰かから五百円を騙し取るまで納得がいかない”と思っていたのですから。

立証が難しい寸借詐欺のことですから、それこそ暴力沙汰にならないとも限りません。

ドリ子さんともあろう方が、その可能性に気付かないはずはないと思います。

 

ですから、これはあなたからの試練だと思うことにしました。

復讐をするような人間は人間ではないという、メッセージだと思うことにしました。

 

突然、変なことを言ってすみませんでした。

ドリ子さんの創作に便乗した妄想に過ぎません。番組のコンセプトも理解しています。

ただ、少し怖くなったのでメールを送らせていただきました。

 

安心してください。私は復讐などしません。

復讐をするぐらいなら、刑事になって奴を捕まえます(笑)。

 

ドリームセラピー、これからも楽しみにしています。

 

 

<了>