■Ⅸ~咄嗟の嘘

ガキの頃の俺はバカだった。

リボンを振り回して脱臼したり、木の節穴に指を突っ込んで抜けなくなったり……。

変なことをして痛い目を見たエピソードには事欠かない俺が、今日はとりわけ家族の間で語り草になっているエピソードを、ひとつ紹介しよう。

あれは、小三の初夏、よく晴れた放課後の出来事だったーー。

 

 

 

今日は父さんが休みだ。

そのことを思い出してダッシュする。

走れば早く家に帰れる。これが最近の発見だ。

 

家に着くとマックの匂いがした。

父さんと母さんの昼ご飯がマックだったなら、僕にもおみやげがあるはずだ。

キッチンのテーブルの上には、案の定マックの紙袋があった。

母さんによれば、今日のおやつはシャカシャカチキンらしい。僕の推理は的中した。

 

手を洗い、給食袋を洗濯カゴに入れる。さあ、シャカシャカチキンの時間だ。

 

その前に、僕は棚に置いてある『東京ばな奈』の小箱を開けた。

中は厚紙で四つの空間に仕切られていて、縦長の空間にはそれぞれ立派な蚕の幼虫が住んでいる。

左から、「しんかんせん1号」「しんかんせん2号」「しんかんせん3号」「しんかんせん4号」。

電車が好きだったわけじゃないから新幹線の数え方が「号」なのかもわからなかったけれど、見た目に合った良い名前だと思っている。見分けがつくかは、自信がないけど。

「しんかんせん」たちはもぞもぞと動いていた。箱の底にはフンがちらほら、餌となる桑の葉はほとんど無くなっていた。

 

校庭で桑の葉を採るつもりだったのに、すっかり忘れていた。

 

うーん。面倒だ。正直、今すぐチキンが食べたい。

だが、チキンを食べたら絶対に行く気が失せる。

そんな僕の考えを見抜いたのか、「先、行っちゃいなさい」と母が言った。

 

 

手ぶらで学校に行くのは、なんだかドキドキする。

でも、帰る途中の友達や居残りしてる同級生に「どうしたの?」と聞かれるのは特別な感じがして悪くない。

「まあ、ちょっとな」

かっこつけてテキトーにやり過ごす。

 

いつもよりちょっと多めに葉を採って、任務完了。

家に帰って、フンを掃除して葉を食べさせれば、晴れてチキンにありつける。

 

今日二回目の帰り道。

中途半端な時間帯だからか、道には誰もいなかった。

 

そのとき、ある衝動が僕の脳内を支配した。

 

目をつぶって走りたい

 

 

 

……まあ、それからのことはお察しの通りだ。

目をつぶって歩道を激走した俺は、路上によくある焦げ茶色の鉄の箱(「変圧器」というものらしい)の角に激突した。

鈍い衝撃音とともに視界に波紋のような集中線が広がり、俺は尻もちをついた。

グワングワンと頭の中で音がする。一拍遅れて、激痛。

顔の右上に信じられないほどデカいたんこぶができた気がした。

 

だが、それは錯覚だった。

おそるおそる右の眉尻のあたりを触ってみると、バカデカいたんこぶなど無かった。

その代わり、右手の指先は赤く濡れていた。

その途端、俺の意識はブラックアウトしたーー。

 

 

というのは言い過ぎで、俺は自力で家に帰った。

血を見た直後は、誰かに声を掛けて欲しくて地面に伏せてみたりもしたのだが、人通りがゼロだったのが裏目に出た。だから、ティッシュで傷を押さえて家まで歩いた。

 

俺の傷を見た父と母は取り乱し、「どうしたの」「車とぶつかったの」「撃たれたの」などと聞いてきた。

真実を話せばめちゃくちゃ怒られると思った俺は、「ツバメの巣に気を取られてよそ見をしていたら鉄の箱にぶつかった」と大嘘を吐いた。

ちょうど俺がぶつかったあたりに毎年ツバメが巣を作る家があって、ちょうどそのときもツバメがそこに住んでいたのだ。

 

どんな状況でも人は嘘を吐けることを、俺はそのとき知った。

 

父の運転する車で近所の病院に担ぎ込まれた俺は、施術台を冷や汗でビチョビチョにしながら「消毒だけでいいです」と先生を泣き落としにかかったわけだが、そんなものが通用するはずもなく、注射と針と糸を用いた極めて適切な手術を受けた。

 

後から聞いた話だが、俺が手術を受けている間、父と母が立て続けに貧血になっていたらしい。本当に悪いことをした。

 

 

幸い、頭部に異常は見られず、その日のうちに帰宅できた。

ポケットの中でくたくたになった桑の葉を「しんかんせん」たちに与え、ようやくチキンにありつく。

 

長いおつかい、長い一日だった。

 

夜、ベッドに腰かけてボーっとしていたら、父がやってきた。

「大変な思いをして採ってきた葉っぱ、みんな感謝してるよ」そう言ってくれた。

労いの言葉に、目頭が熱くなる。

目をつぶって走っていただなんて、口が裂けても言えない。

 

 

あれから十年以上経ったが、未だに父には言えていない。

母には早い段階で打ち明けた。爆笑された気もするし、叱られた気もする。

当時の父は「気乗りしないときに行かせたからだ」と母のことを責めていたらしい。

そんなことがあったなんて、知らなかった。

 

母さん、ごめんなさい。父さん、全部、俺のせいなんだ。

 

 

 

以上で俺の話は終わりだ。「消毒だけでいいです」は俺の名言となり、ことの真相を知らない父は、今でもツバメを見ると「よそ見するなよ」とからかってくる。

 

傷の部分だけ眉毛が生えなくなってしまったが、幸い、傷痕自体は目立っていない。

同僚の中でもめざとい奴が時折傷のことを聞いてくるが、そんなときは「まあ、ちょっとな」と濁す。

考えが行き詰まったときは、古傷が痛むフリをする。まったく痛くないけど。

こういうことは、ぼかしておいたほうがいい。名誉の負傷だと思わせられれば勝ちだ。

 

そう、俺は「クール・ガイ」で通っている。

 

あと数センチずれていたら右目が潰れていたと考えると、クールどころの話じゃない。

そうならなかったのは、偶然、あるいは神様のきまぐれなのかもしれない。

 

こんな俺から未来世代に言えることはただひとつ。

 

目をつぶって走るな

 

 

 

<了>