サンキュー父

録画した『科捜研の女』を観ていたら、隣にいた父が「(この人)絶対犯人じゃん」と言った。私は内心、ウルセッ!と思った。実際その人が犯人だったわけだが、メインゲストが犯人というパターンはドラマではよくあるし、そこから倒叙モノやハウダニット、犯人を意外すぎる人物に設定する裏切りの手法が発展したことを考えると、「絶対犯人じゃん」というつぶやきは、私にとってウルセッ!以外のなにものでもないのだ。

父や姉は、「この落ち方でこんな体勢にはならないだろ」とか「こんな目立つ格好してたら普通にバレるだろ」とか「早く逃げろよ」とか、ときたまウルセ-ことを言う。

それも楽しみ方のひとつだと思うので「やめろ」とは言わないが、ストーリーの根幹に重大な齟齬をきたしていたり、全体のリアリティを著しく欠いたりしていなければ、「演出なんだから野暮なこと言うなよ」と思う。

ただし、私がウルセッ!と思うのは、彼らが小姑のように細かいからではなく、単に私が刑事ドラマに対してマジすぎるからだということは自覚している。

野暮だと思うことが野暮だと言われてしまったら、一言もありません。

 

野暮なことを言う父だが、『相棒』の視聴歴は私よりもはるかに長い(当たり前か)。『相棒』や『HUNTER×HUNTER』など、父の影響でハマったものは多い。

にもかかわらず、父との会話は少ない。父とふたりきりになると、未だに妙な緊張をしてしまうのだ。友人も同じようなことを言っていたので、どうやら私だけではないらしい。

 

趣味を一にしながらも会話は少ないという奇妙な親子関係が成り立っているのは、乃木坂46によるところが大きい。

 

つい先日も、父とふたりで乃木坂のイベントに参加してきた。これまでも、一緒に握手会やライブに行っている。

もともとは私がハマっていたのだが、私が中三の頃、初めての握手会に同行したことをきっかけに父も勝手にハマりだしたのだ。「実は俺も昔から気になっていた」という雰囲気を醸し出してきたときはウルセッ!と思ったが、乃木坂に関してはもろもろの費用を父が持ってくれるので文句は言えない(それを狙っていたわけではない。そもそも、父が乃木坂にハマるとは全く思っていなかった)。

 

この間参加したのは、33枚目シングル発売記念の「リアルミート&グリート」という全国イベントだ。簡単に言ってしまえば「握手なしの握手会」で、コロナ禍を経て生まれた新スタイルの対面イベント。参加方法などもこれまでの全国握手会と異なっていたが、細かい説明は割愛する。

 

11月19日、日曜日。午後1時半過ぎ。パシフィコ横浜、二階。

私は父を待っていた。

イベントは四部制。CDの初回限定盤のタイプ数、すなわち四枚の応募券を父と山分けし、各々が希望するメンバーの第二部と第三部に応募したところ、父は第二部の阪口珠美さんに、私は第三部の吉田綾乃クリスティーさんに当選した。待ち時間が発生したのはそういうわけである。

抽選制というだけあって、今まで参加した全国握手会に比べればマシな混み具合だったが、それでも会場である一階は人で溢れかえっていた。父が人混みに消えてから三十分ほど経っていたが、まだまだかかるかもしれない。

その予想に反して、第二部の開始から十五分後ーー午後1時45分頃に、早くも父は帰ってきた。父も私もライブ以外のリアルイベントに参加するのは2019年以来、約四年ぶりである。さぞニヤニヤしていることだろうと思ったが、父はいつもの顔だった。聞けば、想像していたよりも秒数が短く、何を話そうかと思っているうちに時間切れになってしまったらしい。

だが、そんなことがあるだろうか。私の同伴者でしかなかった時代、最後の握手会に臨んでいる生駒里奈さんに「お疲れ様」という、数秒の持ち時間において完璧と言っても過言ではないメッセージをさらりと贈った父のことである(私と父のどちらが先に握手をしたかは記憶が定かではないが、父の声は耳に入っていた)。何を話すか考えていなかったなどということがあるだろうか。きっと照れ隠しに違いない。

 

午後2時半。第三部の開始まではあと三十分あるが、私は入場列に並んでいた。運命の時は刻一刻と迫っている。父のことより自分のことだ。この日のために髪を切った。歯医者の定期検診も済ませた(下の歯だけだが)。入場までの手順は頭に入っている。

父の話によれば、メンバーは乃木坂の制服ではなく好きな格好をしており、会話はアクリル板越しにマイクを使ってするらしい。これは、全国握手会と異なる部分だ。

体感は七秒くらい。運が良ければ隣のレーンのメンバーが見える。これは、これまでと同じ。父は隣のレーンにいた佐藤楓さんを視界に収めることに成功したらしい。

 

さて、問題は何を話すかだ。

誇張抜きで一年以上親族接客業以外の女性と会話をしていない人間に、アイドルと話せというのはどだい無理な話だ。可能ならば、黙って見ていたい。それが最も有意義な七秒の過ごし方だと思う。だが、それでは気味悪がられるのがオチだ。

www.nogizaka46.com

あやてぃーさんは『相棒』の視聴者らしいが、2018年の情報をもとに話を振るのは事故る可能性が大だ。

敬愛する諸刑事の皆さんは有名人相手にも臆することなく接している。だが、あれはフィクションだ。私があやてぃーさんに「うちのカミさんがあんたの大ファンでね」と言ったところで意味がわからないだろう。

誕生日(9月6日、星新一さんと同じ!)もだいぶ過ぎてしまっているので「誕生日おめでとう」も違うな。

 

直近のアンダーライブ(横アリ公演の最終日)に運良く現地参加できていたので、この話題が無難だろう。

 

「この間の横浜アリーナのアンダーライブの最終日に行きました。最高でした」

 

これをたたき台にしよう。秒数を考えて無駄のない言葉にする。

まず「横浜アリーナ」を「横アリ」に略す。

「アンダーライブ」は「アンダラ」だろうか。「ライブ」だろうか。

いや、「横アリの最終日」と言えば伝わるだろう。「この間の」も不要だ。

 

「横アリの最終日行きました。(間)最高でした」

 

これならどうだろう。「最高でした」の前に間を置けば、キャッチボールも期待できる。

 

頭の中でシミュレーションしているうちに開場時間になった。列の流れに身を任せ、身分証明と荷物検査を済ます。会場内ではシングル収録曲が流れていた。この感じ、久々だ。緊張してきた。

しばらくすると、各レーンへのゲートが解放された。入口から見て右手から、三期生、四期生、五期生という布陣となっており、各期ごとに五十音順になっている。

あやてぃーさんは三期生で五十音順では最後から二番目だ。

会場の右手中央寄りに視線を巡らす。

 

あった。

 

木の葉の装飾が施された、鮮やかな緑のアーチ(メンバーによってはレーンの入り口にアーチが設けられている)。係員立ち合いのもとスマホに表示したQRコードを機械に読み込ませ、いよいよレーンに並ぶ。ちょうどひとつ目の折り返し地点のあたりだった。もうすぐだ。

近い記憶を探る。さっき父が見せてくれたイベント当日のメンバーの自撮り写真(おそらく阪口珠美さんか誰かのモバメに添付されていたものだろう)。そこに写っていたあやてぃーさんは水色のメイド服のようなものを着ていたはずだ。イメージしろ、慣れておくんだ。間違っても記憶を飛ばすようなことがあってはならない。

 

初めて行った握手会。係員越しに見た生駒ちゃん。その存在が放つ衝撃のために、私の記憶はそこで途切れていた。それ以降の握手会は「今度こそ最も接近した瞬間の記憶を維持しよう」と意気込んで行ったが、やはりだめだった。今度こそ。

気が付くと、手に汗握っていた。QRコードを表示させたままのスマホ。そのカバーは変色し、着ていたGジャンの袖も微かに濡れていた。握手がなくてよかった。

 

午後3時。会場に第三部開始のアナウンスが入り、準備ができたレーンから徐々に動き出していく。私のいる列も徐々に動き出していく。だが、それも初めだけだろう。少しすれば各レーンで左から右へ(右から左へ)と数多の人間が受け流されていくことだろう。そうなれば、あっという間だ。

緊張がカンストして逆に余裕が生まれた私は、牛の歩みの傍ら左右のレーンに目をやる。右は山下美月さん。左は与田祐希さん。パーテーションの隙間が小さく、ブースの入口の位置関係で明確に視認することはできなかったが、気配(山下美月さんの白いフワフワの帽子のようなもの)を感じることはできた。

 

私の番が近づく。

意識を正面に戻す。ブースから出てくる人の表情をチラ見する。

思いっきり頬を緩ませている人。

強靭な意志をもってニヤニヤを悟られまいとしている人(バレてる)。

私はどっちだ。

 

あと、ふたり。再度QRコードを読み込ませ、荷物をカゴに預ける。

 

あと、ひとり。パーテーションの陰に佇む。微かにあやてぃーさんの声が聞こえる。

 

ゼロ。係員に誘導されブースに入る。

 

そこには、吉田綾乃クリスティーがいた。

 

巫女の装束を身にまとい、頭にはモフモフの耳が・・・・・・。

 

え、メイド服じゃない⁉ きつね⁉ きつねの巫女さん⁉ チェンジドクローズ⁉

さっきのアーチは「森」ってことか⁉

 

待て待て、落ち着け。いや、落ち着くな。

 

そんなことより、カワイッ! チッチャッ! カオチッチャッ!

 

おいおい、何度同じ過ちを繰り返せば気が済むんだい。実物のアイドルは小柄だって何回言えばわかるんだ。この間ライブに行ったばかりじゃないか。だいたい、アイドルに限らず実物の芸能人は想像より小柄ってのが相場だろ。『ワンピース』じゃないんだから。あと、お前は自分のデカさを自覚しろ。

 

目の前が真っ白になるのをすんでのところで堪え、二歩前に進む。想像していたのとは違うタイプのマイク(棒状ではなく、どちらかというとインターホン?)の前へ。

 

始まるッ!

 

あやてぃーさん「こんにちは~」

私「こんにちは!」

私「横アリの最終日行きました!」

あやてぃーさん「ありがと~」

係員「お時間でーす」私「最高でした!」(ほぼ同時)

 

こうして私の七秒、いや体感五秒のコミュニケーションは幕を下ろした。

まさしく、狐につままれたような気分になった。

平静を装ってブースを後にしたが、たぶんヘラヘラしていた。

結局「こんにちは」と「ありがとう」しか引き出せなかった。これが私の限界だ。

いや、「こんにちは」ではなく「こんにちは~」だったし、「ありがとう」ではなく「ありがと~」だった。充分すぎるぐらいだ。

間を置いたことが功を奏した。やっててよかった、シミュレーション。

 

レーンの出口で、有志の方が作った三期生七周年のフライヤーを貰った。

裏面には、コンサート、舞台、ドラマ、映画など、三期生の七年の軌跡がびっしりと記録されていた。これは、スゴイ。本当におめでとうございます。

特設ブースで募金をして、ステッカーも貰った。

 


父と帰る。会話は多くない。でも、少なくもない。

「子はかすがい」ならぬ、「乃木坂はかすがい」だ。

ありがとう、乃木坂。ありがとう、あやてぃー。

 

(結局、今回もまた記憶が飛んでいるので、当日のこと、特に衣装に関する記述はあてにしないでください)

 

 

<了>