視聴者ガックリ、僕はニッコリ

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はやく来い来いお正月。

 

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『相棒22』第9話「男の花道」(脚本:輿水泰弘、監督:橋本一)、面白かった。

主に①疑惑の正当防衛、②報復のハウダニット、③内村部長の人格変貌ふたたびについて書いていく。

 

①疑惑の正当防衛

正当防衛を覆す話は今シーズンで早くも二作目。先の「天使の前髪」(脚本:森下直、#4)は刺殺、今作は胴締めチョークスリーパーによる窒息死と、殺害方法は異なっていたが、果物ナイフが右京レーダーに引っ掛かった点では共通していた。

輿水泰弘脚本作品の正当防衛モノとしては、極限状態での誘導殺人を暴く「鮎川教授最後の授業」(S13#15・16)が思い浮かぶが、今作はそれよりもシンプルな事件だった。一瞬の殺意を認めさせる点では共通していたが、「鮎川~」では右京の危険性が強調されていたのに対して、今作は“いかにして体格差がある相手のバックを取ったのか”という疑問から果物ナイフの偽装を導き出す、ロジカルなミステリになっていた。物証は提示されなかったが、そこは弓生の人間的なキャラクターと“自首”という選択でカバーされていた。

特命係が弓生への追及を後回しにしたことは、「ペルソナ・ノン・グラータ」(脚本:輿水泰弘、S21#1・2)でも言及された“プライオリティ”を考慮した結果であり、メインの謎解きをラストに持ってくるための合理的な理由付けにもなっていた。右京がプライオリティを考慮して犯人逮捕を後回しにする話としては、「ライフライン」(脚本:櫻井武晴、S10#4)が挙げられる。

 

②報復のハウダニット

“どのようにして報復をするのか”なので、厳密にはハウダニットではないかもしれない。

意味深な会話の場面を途中で区切って視聴者をミスリードする“語りのトリック”は「冠城亘最後の事件」(S20#19・20)と共通していた。輿水脚本作品以外では「事故物件」(脚本:太田愛、S16#15)でも、この手法が用いられていた。

虎太郎や虎鉄のほかに血気盛んな組員がひとり登場したが、彼が葬式の場面に登場しなかったことは、寺の近くに潜む怪しい人影の描写と考え合わせると、“報復者は誰か”のミスリードになっていたと考えられる。拳銃に関する「至近距離から確実に急所を狙ってハジかなきゃ駄目だぜ」という桑田のセリフは報復方法の伏線になっていた。

捜査一課の三人が虎鉄に拳銃を向ける場面は、報復阻止の方法の伏線になっていた。芹沢の「撃っちゃえよ、せっかく持ってきたんだからよ」というセリフが、「プレゼンス」(脚本:輿水泰弘、S19#1・2)を経たからこそのものに思えて面白かった。

 

③内村部長の人格変貌ふたたび

https://www.tv-asahi.co.jp/aibou/cast/より引用。

私は「超・新生」(脚本:輿水泰弘、S19#10)での人格変貌は急遽決まった展開だと考えていた。理由は二つある。

ひとつは、虎太郎が傷害容疑、鬼丸が傷害教唆の容疑で連行されるという「超・新生」のラストが、扶桑武蔵桜編の完結とも捉えられるものだったこと。

もうひとつは、「プレゼンス」と「超・新生」の脚本が掲載された月刊『ドラマ』2021年2月号の作者ノートに「内村とヤクザの話を進めるに当たっては、この先、楓子が重要な役割を担うことになるだろうという予感がしていた」(60頁より引用)という記述があったことだ。

 

この仮説が間違っているらしいことがわかったのは、「暗殺者への招待」(脚本:輿水泰弘、S19#19・20)を観たときだった。「暗殺者~」は「プレゼンス」の続編で、前編では「プレゼンス」後の半年間の事件関係者の動向が描かれ、後編では再び大きく展開し始めた事件が進行形で描かれるという特殊な形式だった。「超・新生」は時系列的に「プレゼンス」と「暗殺者~」の中間に位置するのだが、内村部長の人格変貌のおかげで時系列がわかりやすくなっていたのだ(出雲のヘアスタイルの変化もその役割を担っていたと思われる)。シーズン9と劇場版Ⅱの時系列を特命係の木札の位置で表したのと同系統の手法だ。

真人間になった内村部長は「暗殺者~」において右京の要請で衣笠副総監から証言を引き出したり、その続編の「復活」(脚本:輿水泰弘、S20#1~3)において栗橋内閣情報官の連行を指示したりと、一連の事件において突破口の役割を担っていた。

 

これらのことから、内村部長の人格変貌は内閣官房長官を相手にする物語を描くうえで必要な展開だったと考えられる。同系統の話としては「双頭の悪魔」(脚本:輿水泰弘、S3#1~3)があるが、あのときは小野田公顕や瀬戸内米蔵といった大物たちが特命係に協力していた。特命係に協力的な大物が不在のなかで(鑓鞍兵衛は「暗殺者~」において“鶴の一声”疑惑がかかるのでノーカウント)長期にわたってVS内閣官房長官編を円滑に進めるためには、内村部長率いる警視庁刑事部を特命係の味方にすることが必要だったのではないか。

内村部長の人格変貌は、“特命係VS警察上層部”という対立構造を“特命係VS内閣官房長官”へと昇華させるための計算された展開だったのではないだろうか。

 

人事異動ではなく人格変貌という展開が用いられたのは、内村部長がプレシーズンから登場しているキャラクターであり、卒業させることのリスクが大きかったためだろう。

シーズン19では新たに捜査一課に配属された出雲が内村部長の命令でいびられていた。例えば、内村部長が退職して後任に社美彌子が就任→男社会に風穴が開くといった展開も可能だったろうが、そうならなかったのは、シーズン19の段階で社の内閣情報官就任までが視野に入っていたからかもしれない。そうなると、シーズン19前半での出雲へのいびりは内村部長の人格変貌を強調するための展開だったと考えられる。

 

「超・新生」で右京が言及した心理学者ディートハルト・フィッツェンハーゲンが架空の人物であること、「ペルソナ~」で芹沢が薫に「先輩の知ってる内村部長は、もう死にました」と言ったことから、“人格変貌”が合理的な荒業であり、“部長を実質的に交代させる”という意味を持っていたことがわかる。

 

部長交代と異なり、人格変貌には“元に戻る展開が可能”という特徴がある。

VS内閣官房長官編が鶴田翁助の自首によって完結したこと、「ボディ」(脚本:輿水泰弘、S17#1・2)以降、目立った動きを見せていなかった衣笠副総監が「無敵の人」(脚本:神森万里江、S22#1・2)で久々に暗躍を見せたことから、対立構造は“特命係VS警察上層部”へと戻りつつあることがわかる。「超・新生」から三年が経ったこのタイミングで扶桑武蔵桜編の完結とともに内村部長の人格を元に戻したことは、展開としてのおさまりがよく、合理的だといえる。

 

死んだわけでも生死の境を彷徨ったわけでもない桑田(なぜか死装束)が、昏睡状態の内村の枕元に現れた理由は不明だが、桑田の「せめて自分らしく生きようぜ」という現代的なメッセージによって内村の人格が元に戻る場面には、妙に胸に迫るものがあった。

“夢枕の手法”は「猛き祈り」(脚本:輿水泰弘、S11#10)では賛否を呼んだが、私は一度目の人格変貌を受け入れていたため、疑問が喚起されることはなかった。人格が元に戻るそもそものきっかけとなった階段からの転落にも“中園参事官が扶桑武蔵桜の解散を伝えたから”という因果をはっきりとさせる理由付けがなされており、行き届いていた。

 

一度は“デュープロセスの鬼”になったためか、元に戻った内村部長の発言にも説得力があるように思えたのは私だけか。特命係が警察内部の不祥事を暴けるのは、捜査権に縛られない立場にあるからこそだが、捜査権を持たない人間が捜査をすることは厳密には違法であり、“どちらが正しいのか”という大きな問題を提起している。

特命係の存在を認めず、“特命係=グレーゾーン”という認識を否定する内村部長のスタンスも、正義のひとつには違いない。人格変貌を目の当たりにしたことで、私はそのことを強く実感した。個人的には、内村部長は「規矩」寄りの「古轍」になったように思えるのだが、今後どのような振る舞いをするのか、楽しみである。

 

その他

・「恐怖の切り裂き魔連続殺人!」(脚本:輿水泰弘、PS#2)の冒頭を彷彿とさせる口上をはじめ、薫の調子の良さが初期のような雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、右京ののらりくらりとした態度は“亀山さん効果”なのかもしれない。

・扶桑武蔵桜の解散の顛末を記事にして、薫に「暴力団の未来心配する前に日本の未来心配しろっつーの」と言わしめた美和子。櫻井武晴岩下悠子、川﨑龍太の脚本作品では硬派なジャーナリストとして描かれている美和子が、「大金塊」(S21#11)をはじめとした輿水脚本作品では“フォトス的”に描かれているのが興味深い。

・浅戸組織犯罪対策部長の「結局、悪は滅びるんだなあ」というセリフや、階検事のヤクザに対する物言いがスリリングで面白かった。「容疑者六人」(脚本:輿水泰弘、S16#20)以降のひとつのテーマだった“暴排条例”が今後取り上げられるかはわからないが、階検事の野心家だけではない一面、ヤクザに対する並々ならぬ嫌悪感を基に話が展開することがあるかもしれない。

 

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階検事が元日スペシャルにも登場するようだ。楽しみすぎる。

 

生きねば。

 

 

<了>