クライマーユ・ハイ

先週の土曜日。親にデートと嘘ついて、ひとりで出かけた。

出不精なので休日にわざわざ出かけることはあまりしないのだが、未来屋書店のポイントが切れそうなときは別だ。

 

本屋にだけ行ってすぐに帰るのは着替え損な気がしたので、『怪物の木こり』という映画を観てきた。人生二度目のひとり映画。

主演は亀梨和也さん、監督は三池崇史さん。私が初めて劇場で観た実写映画は2009年の『ヤッターマン』なのだが、今調べたらそれも三池崇史監督だった。すごい偶然。

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混雑を避けようとしたら、大学の一限よりも開始時刻が早い回を観ることになった。

こんな早い時間に映画を観るカップルはいないだろう。

現地で撮ればよかった。

大学生でも千円。学生のうちにもっと映画を観ておくべきかもしれない。

 

一番乗りに成功。入場者特典らしき四つ折りポスターが貰えた。

入口の写真。忘れずに撮った。

朝早い回だったためか、客は私を含めて十人未満。想像以上に空いていた。「前、失礼します」と言わずに済んでよかった。

 

今回『怪物の木こり』を観たのは、原作を読んでいたからだ。

(2019年、宝島社)

良心の呵責を覚えることなく、自分にとって邪魔な者たちを日常的に何人も殺してきたサイコパスの辣腕弁護士・二宮彰。ある日、彼が仕事を終えてマンションへ帰ってくると、突如「怪物マスク」を被った男に襲撃され、斧で頭を割られかけた。九死に一生を得た二宮は、男を探し出して復讐することを誓う。一方そのころ、頭部を開いて脳味噌を持ち去る連続猟奇殺人が世間を賑わしていた。すべての発端は、二十六年前に起きた「静岡児童連続誘拐殺人事件」にーー。

-カバーそでより引用。

著者の倉井眉介さんは同書で第17回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞してデビュー。当時『王様のブランチ』のブックコーナーで特集されていた記憶がある。私が持っているのは単行本だが、今では文庫化もされている。

 

映画の感想は最後に。

 

劇場を出た足で未来屋書店へ。

気になる新刊はいろいろとあったが、せっかくなので倉井さんの最新作『怪物の町』を買った。

(2023年、宝島社文庫)

表紙の雰囲気は同じだが、あらすじを読む限り『怪物の木こり』の続編というわけではなさそうだ。積ん読が大変なことになっているので読むのはだいぶ先になりそうだが、読了したらこの本についても書く。

 

ポイントを使い、税込み789円の文庫を405円で買った。

映画代と合わせても1500円未満。すばらしい。

 

目的は果たしたので帰宅。

午前中に帰宅した時点でデートでないことはバレているだろう。

 

貰ったポスターを開くと、見覚えのある文字列が。これは、スペイン語

調べたら、どうやらスペインで開催されたシッチェス映画祭で上映されたときのビジュアルポスターらしい。聞いたことがない映画祭だが、毎年邦画を含めたホラーやファンタジー映画が上映されているようで、今年は『首』や『君たちはどう生きるか』、『#マンホール』なども上映されたらしい。

「PELÍCULA」は確か「映画」という意味だ。スペイン語を履修したことが初めて役に立った。

 

 

感想など

※以下ネタバレあり

数年前に初めて原作を読んだときに思ったのは「映像化は無理だな」ということだった。斧で頭を割り、脳味噌を持ち去るという犯行のグロテスクさもさることながら、小説だからこそ成立するトリックが施されていたからだ。だからこそ興味を惹かれたわけだが、話の大筋を知っている状態で映画を観るのは、ある意味で賭けだった。

 

結果から言えば、私は賭けに勝った。映画『怪物の木こり』はとても面白かった。

立場をわきまえずに言ってしまえば「脚色が上手い」のひとことに尽きる。長編小説を二時間弱の映像にするうえで割愛などがなされるのは当然だが、今作では、原作を読んだときに私が感じていた引っ掛かりが脚色によって解消されていたのだ。

 

冒頭のカーチェイスや、絵本『怪物の木こり』に焦点を当てたタイトルの出し方やストーリー、誘拐事件・殺人事件の詳細など、細かな変更点を挙げたらきりがないが、大幅な変更点としては①二宮彰と杉谷九朗の距離感②戸城嵐子・荷見映美のキャラクターと結末のふたつが挙げられる。

 

①二宮彰と杉谷九朗の距離感

サイコパス弁護士の二宮彰(演:亀梨和也さん)は自宅マンションの地下駐車場で怪物マスクを被った人物に斧で襲撃される。頭部を負傷したものの一命を取り留めた二宮は、担当医の益子から、かかりつけ医に脳チップを診てもらうことを勧められる。しかし驚くべきことに二宮は、その時まで自身の脳にチップが埋め込まれていることを知らなかったのだ。

怪物マスクの「お前ら怪物は死ぬべきだ」という言葉から、自身の殺人行為を知られていると考えた二宮は、警察よりも先に怪物マスクの正体を突き止めて復讐することを誓い、友人のサイコパス医師・杉谷九朗(演:染谷将太さん)に協力を求める。

 

原作では「杉谷が人の脳をいじって喜んでいるような人間であることを考えると、脳チップのことを話すのは賢明とは思えなかった」(単行本56頁より引用)という理由で二宮は杉谷に脳チップのことを秘する。

「お前『ら』」と怪物マスクが言ったこと、襲撃以前に二宮が杉谷の同僚に尾行されたこと(原作・映画ともに、その人物は二宮によって殺害されている)から、怪物マスクの正体が杉谷が勤める病院の関係者であると考え、ふたりは杉谷の従兄・健吾を拷問する。その際に二宮がとどめを刺せなかったことから、脳チップの存在が杉谷の知るところとなる。物心がつく前に手術が行われたらしいこと、“脳チップの故障によって人が殺せなくなった”というあべこべな事態から、二宮が「静岡児童連続誘拐殺人事件」の隠れた被害者である可能性が浮上。さらに刑事の訪問を受けた二宮は、怪物マスクが巷を騒がせている“脳泥棒”と同一人物であることを知る。

 

映画では、二宮は脳チップの存在を早い段階で杉谷に明かしており、児童連続誘拐殺人事件と脳泥棒連続殺人事件が早い段階で結びつけられている。

自身と誘拐事件の関連を警察に知られないようにするべく、二宮と杉谷は二宮の脳チップの存在を知る益子医師を拉致し殺害する。益子医師の殺害は原作にはないが、自身への手がかりを消したいという二宮の殺人犯としての心理に適っている。結果的には事件と無関係な杉谷健吾の拷問死を割愛し、頭部の負傷によって二宮が人の心を取り戻しつつあることを示す場面を結合した脚色はとても合理的である。また、益子医師が失踪したことをきっかけに警視庁のプロファイラー・戸城嵐子が二宮に対する疑惑を深める展開もスリリングだ。

二宮が本当に人を殺せなくなったのか試すために怪物マスクを被って二宮を襲うなど、映画の杉谷の行動は原作よりもエキセントリックであり、そのぶん二宮との対比が鮮明になっていた。

 

②戸城嵐子・荷見映美のキャラクターと結末

戸城嵐子(演:菜々緒さん)は、原作では捜査一課の刑事だが、映画では原作のみに登場する科警研のプロファイラー・栗田とミックスされ、警視庁のプロファイラーという設定になっていた。プロファイラーとしての分析力と、刑事顔負けの行動力を兼ね備えた魅力的な探偵役になっていた。

荷見映美(演:吉岡里帆さん)は二宮の恋人で女優を目指す人物。有力者である父親に結婚をせっつかれ、干渉を減らすためだけに二宮との交際を始めた(二宮は権力目当て)。原作では二宮に対する不信感を露わにする強気な人物だったが、映画では原作よりも落ち着いた人物になっていた。“人の心を取り戻していく二宮と、彼に対して心を許していく映美”という見どころは原作と共通していたが、映画では映美にまつわる重要な要素が追加されていた。結末に触れるためその要素については明記しないが、原作者の倉井さんが映画公開前のインタビューで語っていたように、原作と映画では結末が異なっていた。

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結末の直前も原作とは異なっていた。原作では“良心の呵責なく殺人を繰り返す怪物”としてではなく“人として人を殺める二宮”が描かれており、映画では“人を殺せなくなった二宮”に適った展開が用意されていた。ラストの「怪物の木こりはたくさんの友だちをつくりました」という二宮のセリフは、人は誰しも怪物になり得るのだと感じさせるものだった。

 

 

ついついストーリーについてばかり書いてしまった。脚本を書いたのは映画プロデューサーの小岩井宏悦さんとのことだが、原作をどうアレンジするかは脚本家に一任されるものなのだろうか。あまり滅多なことは書けない。

 

気になっていたグロ描写については、想像していたほどエグくはなかった。血が噴き出るシーンや捜査資料の写真として血まみれの遺体が映る場面はあったものの、激しく損傷した頭部や腐敗した遺体が映る場面では、ピントを別の場所に合わせる演出がされていた。いたずらにグロくなかったためストーリーに集中できたうえ、カーチェイスやアクションなど迫力満点の映像を楽しめたので、個人的には満足している。

 

全然瞬きをしない二宮彰、なんだかんだ最も危険な杉谷九朗、違法捜査も厭わない戸城嵐子、複雑な想いを秘める荷見映美をはじめとした登場人物たちを観て、役者さんってやっぱり凄いなとしみじみ感じた。

 

映画がかなり良かったので、数年ぶりに原作を読み返した。二度目だということもあったが、章立てが細かくて読みやすく、すぐに読み終わってしまった。原作では犯行場所や犯人の移動手段に焦点を当てた謎解きが楽しめる。キャラクターの毒々しさもより味わえた。

 

小説にも映画にもそれぞれの良さがあるので、気になった方は是非。

 

「脚色が上手い」などと言ってしまう人間に、映画デートをする日は訪れるのだろうか。

 

 

<了>