骨ばった胸に、ほおずりを。

今朝、通学路で追い抜いた老夫婦はしりとりをしていた。

のどかな光景だったが、歩を緩めるには及ばない。

通学は戦だ。正直なところ、一日の山場は通学と帰宅だと思っている。

視覚と聴覚を駆使し、安全に配慮しつつ最短距離を早歩く。

 

何故こんなにもせっかちになってしまったのか、自分でも分からない。

直感のごとく脚が勝手に動いてしまうのだ。

私にとっての「第二の脳」は脚だ。

 

上半身は枯れていく一方で、どんどんと健脚化が進んでいる。

大学を卒業するころには「脚だけ人間」になっている予定だ。

名もなき犬に名前を、上半身に筋肉を。

 

筋肉といえば、なかやまきんに君

この場合、きんに君さんが適当なのか。それとも、きんにさんか。

誰もが抱く凡庸な疑問。

 

あの方のすごいところは「筋肉」を冠した名前で活動していることだ。

これはかなりの自信がないとできないことだ。

なんせ名前のせいでハードルが上がってしまうのだから。

 

私だったら格上の存在に怯えて遠慮してしまう。

 

例えば、私が「ブログ王」という名前で活動したらどうなるか。

「特に何も起こらない」という悲しすぎる現実は考えないものとすれば、国内外でタコ殴りにされるのがオチだろう。

私にできるのはせいぜいブログIDを「相棒人間」することぐらいだ(これだって無知が招いた手違いのようなものだ)。

 

結局、重要なのは名前ではない。

きんに君をきんに君たらしめているのは、まぎれもなく筋肉である。

自身の努力で「きんに君」という称号をほしいままにしている。

 

「立場が人を作る」と言うではないか。

だったら私も「ブログ王」を名乗ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・やはりできない。

 

きっとこれが私なのだ。

 

中学時代に生徒会役員をやりたくなさ過ぎて泣きながら断ったような人間にとって、「称号」はトラバサミだ。

 

でも、あのとき役員を引き受けていたら、と考える日がないでもない。

 

誰もが抱く凡庸な妄想。

 

なんだか嫌なことを思い出してしまった。ヤー。パワー。ハッ。

 

 

今週の読了本

横山秀夫さんの『動機』-D県警シリーズ第二弾。

(2002年、文春文庫)

署内で一括保管される三十冊の警察手帳が紛失した。犯人は内部か、外部か。男たちの矜持がぶつかりあう表題作(第53回日本推理作家協会賞受賞作)ほか、女子高生殺しの前科を持つ男が、匿名の殺人依頼電話に苦悩する「逆転の夏」、公判中の居眠りで失脚する裁判官を描いた「密室の人」など珠玉の四篇を収録。 解説・香山二三郎

-裏表紙より引用

 

警察手帳の大量盗難が刑事部と警務課の確執を浮き彫りにする「動機」、別れた妻子への送金が生きがいとなった前科持ちの男は再び殺人を犯してしまうのか-「逆転の夏」、地方紙の覇権争いと引き抜き話に翻弄される事件記者を描いた「ネタ元」、公判中に居眠りしてしまった裁判長が隠されていた真実を知る「密室の人」の四編からなる短編集。

 

自らのミス、あるいは陰謀に巻き込まれて窮地に立たされる人物がたくさん出てくるのでハラハラすることこの上ないのだが、やっぱり面白いので読んでしまう。

例えば「逆転の夏」の主人公。もう罪は犯さないと誓う彼が、再び悪事に手を染めることを決心するまでの心の動きが手に取るように分かる。

感情移入を重視して小説を読んだことがなかったので、著者の作品が持つ熱さがとても新鮮に感じられた。

 

本作はD県警シリーズに数えられているが、前作『陰の季節』からは二渡警視が控えめに登場するのみである。残りの三編ではそれぞれ前科者、事件記者、判事に焦点が当てられており、同シリーズからは外れるが、そのぶんバラエティに富んだ短編集になっていた。

『陰の季節』の表題短編は著者のデビュー作であり、本作『動機』は第二短編集にあたる。ちなみに、私が以前読んだ『半落ち』は著者の初長編小説だ。

こうなると、D県警シリーズの長編である『64』を読むのが待ち遠しい。

 

まあ、のんびりいきましょうや。

 

 

<了>