自転車おじさんがやってくる。
いつも北からやってくる。
北から南へ移動する。
毎日毎日午後三時。
僕のおうちの前通る。
いつもニコニコ、お歌を歌って。
なんの歌かは分からない。
絶対に聞いたことがある。
でも絶対に思い出せない。
自転車はいつも同じ方向に進む。
逆はありえない。
どこから来て、どこへ行くのか。
本当は何人もいるのかもしれない。
僕はおじさんとよくハイタッチをしていた。
おじさんは自転車に乗ったまま、左手を差し出してくる。
僕も左手を差し出して、ハイタッチをする。
そんな記憶が確かにある。
そのうちにおじさんを見かけなくなった。
僕が忙しくなって、帰りが遅くなったからだ。
そもそも僕は、毎日同じ時間に彼が通ることにどうして気が付いたのだろう。
どうしようもなく嫌なことがあったある日、僕は自転車おじさんに再会した。
午後三時、いつもの道で。
西日に照らされている彼は、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
彼がゆっくりと左手を挙げたので、僕も左手を挙げた。
ハイタッチをしよう。
しかし次の瞬間、彼は真顔になって手を下げた。
そして僕に向かってきた。
自転車は減速し、僕の左脚に軽くぶつかって止まった。
怒りを通り越して茫然としていた僕は、やっとのことで抗議をした。
「何をするの?」
視界が滲むのが分かった。
おじさんはニコリともせずに言った。
「君はもう大人だろう?」
その瞬間、僕は大人になった。
葉村晶、第四弾。文春文庫の『さよならの手口』(2014年)。長編としては二作目。
探偵を休業し、ミステリ専門店でバイト中の葉村晶は、古本引取りの際に白骨死体を発見して負傷。入院した病院で同室の元女優の芦原吹雪から、二十年前に家出した娘の安否についての調査を依頼される。かつて娘の行方を捜した探偵は失踪していた――。有能だが不運な女探偵・葉村晶が文庫書下ろしで帰ってきた!解説・霜月蒼
-裏表紙より
前作『悪いうさぎ』の単行本発売から十三年ぶりの新作長編。作中でもそれなりの時間が経過しており、アラサーだった葉村も四十代に。住んでいたアパートが震災で倒壊したため調布のシェアハウスに引っ越し、契約していた長谷川探偵調査所が廃業したため知り合いの元編集者が営む書店のバイトで食いつないでいる。店主である富山泰之との再会の経緯などは『暗い越流』所載の短編にて描かれている(誤ってこの本から読んでしまったので記憶があやふやである)。
知り合いの遺品整理人・真島進士とともに、古本を引き取りにカビだらけのボロ家にやってきた葉村。めぼしい本を探して押し入れに踏み込むと床が抜け、床下に転落。汚水にダイブし、しゃれこうべに頭突きをして重傷を負う。スマホは水没し、カビでアレルギーを起こし、ボロ家の大家の女に訴えられかける。
災難続きの葉村はやってきた刑事に白骨死体についての推理を聞かせる。
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これがめちゃくちゃ面白い。独立した短編としても楽しめる。めちゃ贅沢。
この推理を聞いていた同室の元女優が葉村の探偵としての才能を見込んで、娘探しを依頼してくる。しかし2007年に探偵業法が施行されたため、今のまま有償で依頼を引き受ければ違法になってしまう。条件付きで依頼を引き受けた彼女は、謎の刑事にマークされて・・・。バイト先でもゴタゴタに巻き込まれる葉村は、失踪人捜索を遂行することができるのか。負傷しまくる彼女の調査に手加減はない。
巻末には「あとがき」と「おまけ~富山店長のミステリ紹介~」が収録されている。作中に登場するミステリを読めば富山店長に近づけるかもしれない。
レイモンド・チャンドラーと大倉崇裕、積んでるから読まなきゃ。
<了>