師はまだ走っている

2023年12月20日(水)

16時過ぎに講義が終了。友人が欠席したのでひとりで帰った。坂を下っていると、遠くに夕暮れの街並みが見えた。いつもより空がいやに広く、きれいに見えた。なぜ今まで気づかなかったのだろう。

 

12月28日(木)

年内最後の燃えるゴミの日が迫っていたので、書類をちぎった。大学入試の問題冊子に、読まないであろう説明書、思い切って前期の講義資料もちぎった。気分が良い。

蠱惑的紙ゴミ

 

 

2024年1月7日(日)

家族で初詣に行った。おみくじを引いたら「半凶」だった。そんなものがあるのか。

 

1月15日(月)

16時過ぎに講義が終了。来週はテスト。自筆ノートと前期に配った年表は持ち込み可能とのことだが、年表が見当たらない。年末のことを思い出す。やっちまった。

 

1月29日(月)

14時過ぎにテストが終了。これで晴れて春休みだ。清々しい気分で坂を下る。いつかの街並みを思い出して遠くを見たが、木々に視界を遮られた。おかしい。時間帯は違うが、場所は同じはずだ。さらにおかしなことに、木々が前から存在していたこともまた、断言できるのだ。

あの日、夕暮れの街並みを見たときだけ、木々が消えていた。

私の記憶を信じれば、そういうことになる。だが、そんなことがあるのだろうか。

 

 

 

 

<了>



ゆく年繰る年

しめ縄や破魔矢を納めに近所の神社へ。

父の先を歩く。知り合いに会うかもしれないからと、気を遣って後ろを歩いてくれているのだと思ったが、私の歩くスピードが速くなっただけだと気付いた。

 

お焚き上げを待つ神物の山に持参した紙袋を載せ、賽銭をして手を合わせる。

窓口で御札を買った父とともに、本殿へ。

二礼二拍手一礼。

投擲のセンスが絶望的な私は賽銭を外すこともしばしばだったが、今年は大丈夫だった。

 

海の匂いを嗅ぎながら、帰路に就く。

いつもとは違う方向から眺める町並みは、それでも郷愁を呼び起こす。

私が中学生だった時分は、神社近くのミニストップで休憩するのが恒例だった。

父はいつも、プラカップに入った小さな唐揚げとペットボトルのお茶を買ってくれた。

イートインスペースから見える夕焼けの海が好きだったのだが、消費税の引上げに伴い、ふたりだけの秘密の習慣はなくなってしまった。

 

期待していなかったといえば噓になる。

 

そんな私の心境を知ってか知らずか、父がセブンで肉まんを買ってくれた。家族全員分。

紙袋越しに肉まんの温もりを感じる。

 

穏やかで、ゆっくりと流れる時間。

 

来年もまた、父についていこう。

目当ては食べ物ではない。散歩というの名の無言の交流だ。

 

そのときは、もう少しゆっくりと歩こう。

 

 

 

『相棒』関連の雑誌をいくつか読んだ。

キリがなくなるので雑誌を買うのは止めにしていたのだが、ブックオフオンラインで検索をしてしまったが最後、また買ってしまった。知ってしまったからには見過ごすことはできない。

 

まずは、『シネマスクエア vol.18』-SURVIVOR。

(2008年、日之出出版)

水谷豊さんと寺脇康文さんへのインタビューなど『相棒 -劇場版-』の記事が5ページ。

撮影で苦労した点として川のシーンを挙げる寺脇さん。メイキングが観たくなってきた。

プレミアム試写会のレポも載っていた。DVD特典のイベント映像も観たくなってきた。

 

お次は、『日本映画navi vol.41』-ATARU

(2013年、産経新聞出版)

『相棒 -劇場版Ⅲ-』の現場リポートが4ページ。

東伸児監督補による沖縄ロケの裏話のほかに、水谷さん、成宮寛貴さん、川原和久さん、大谷亮介さん、山中崇史さん、六角精児さんのコメントが載っていた。

馬のヤマト君は甲府から沖縄入りしたらしい。久々に雄姿を拝みたくなってきた。

 

最後に、『日本映画navi vol.46』-AIBOU。

(2014年、産経新聞出版)

堂々の『相棒 -劇場版Ⅲ-』特集号。

『~vol.41』に登場した方々に伊原剛志さん、釈由美子さん、山西惇さん、石坂浩二さんを加えた主要キャスト、和泉聖治監督と脚本を手掛けた輿水泰弘さんへのインタビュー、現場リポートの続編に『~序章』の作品紹介など充実の34ページ。

 

実は最初、今、ものすごい緊張感をはらんでいる日本海を舞台にして、コースを外れた豪華客船が紛れ込んでくるというものも考えたんですよ。

-14頁より引用。

豪華客船が舞台の候補に挙がっていたことはオフィシャルガイドかなにかで読んだ気がするが、そんなストーリーだったとは。映像化してほしいが、鮮度の問題があるのだろう。

 

ピンナップも付いていた。

 

すっかり雑誌ブームが再燃したので下のサイトを参考にブックオフオンラインを漁った。

www.asahi-net.or.jp

 

この分だと成人式の帰りにブックオフに寄ることになりそうだ。

 

来年も『相棒』道を邁進していこう。

 

 

<了>

すっごいTVer!

今年もあとわずか。もう少しで今年公開した記事が100に到達する。

100記事のために能動的になれた。予期せぬ出来事もあった。

 

aibouninngenn.hatenablog.com

映画『怪物の木こり』を観た。

なんでもかんでも『相棒』と結びつけるのはよくないかもしれないと思ったので書かなかったが、監督の三池崇史さんはシーズン10の「宣誓」(#16)にヤクザ役で出演している。

染谷将太さんをはじめ、渋川清彦さんや堀部圭亮さんなど『相棒』出演者が多数出演していた。染谷さんはこの手の役が似合いすぎている。ホントに怖かった。

 

tver.jp

TVerで『クロハ~機捜の女性捜査官~』(2015年)という二時間ドラマを観た。

原作は結城充考さんの『プラ・バロック』-第12回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。数年前、私は乃木坂文庫でこの作品を読み、読書遍歴史上最多の手汗をかいた。そして、「クロハシリーズ」をはじめとした著者の作品に現在進行形でドハマりしている。

脚本は『相棒』で「藍よりも青し」(S10#13)、「デイドリーム」(S12#11)の脚本を担当した高橋悠也さん。監督の麻生学さんはシーズン1で「教授夫人とその愛人」(#2)と「下着泥棒と生きていた死体」(#4)の演出を担当した方だ。これは観るしかないだろう。

案の定、原作との相違点があったが、比較分析の大変さは『怪物の木こり』で身に染みたので、書くのは控える。

興味のある方は是非。TVerでの配信はまもなく終わってしまうが。

本編52分35秒を引用。

余談だが、『相棒』で捜査一課の刑事役として度々登場している俳優さん(『相棒22』元日スペシャルの予告映像にも映っている方)が、射撃場の係官役で出演していた。この方の出演シーンをすべて集めるのが、私の夢である。

 

aibouninngenn.hatenablog.com

クリスマス前に最高のプレゼントを貰った。

 

aibouninngenn.hatenablog.com

変なタイトルだが、『相棒』の考察をした記事だ。

「鬼丸播磨」という渡世名、カッコいい。本名の「井上和美」も似合っている。

「鹿手袋啓介」は一生忘れない名前だ。

tver.jp

「再会」(脚本:徳永富彦、S21#19)の考察記事は録画したものを繰り返し観ながら書いたのだが、今回はTVerの見逃し配信を利用した。テレビを占拠せずにセリフの確認ができて便利だった。繰り返し観ると、緻密な物語であることがよりわかる。

TVerの回し者みたいだが、過去の元日スペシャルやシーズン14の一部のエピソードも無料配信されているので、興味のある方は是非。

 

 

今週の読了本

石持浅海さんの『攪乱者』-テロリストシリーズ第一弾。

(2013年、実業之日本社文庫)

美女一人、男二人のテロはレモン三個で政権を転覆?

コードネーム、久米・宮古・輪島のテロリスト三人。組織の目的は、一般人を装ったメンバーが、流血によらず、政府への不信感を国民に抱かせることだ。彼らの任務は、レモン三個をスーパーに置いてくるなど、一見奇妙なものだった。優秀な遂行ぶりにもかかわらず、引き起こされた思わぬ結果とは。テロ組織の正体は。そして彼らの運命を握る第四のメンバーの正体はーー。

解説/宇田川拓也

-裏表紙より引用。

レモン三個をスーパーに放置せよーー「檸檬」、公園の砂場にアライグマが入ったケージを放置せよーー「一握の砂」、電車の網棚に丸めた新聞紙が入った紙袋を放置せよーー「道程」、子供たちを相手に公園で勉強会を開く青年を支援せよーー「小僧の神様」、コンビニでアルバイトをせよーー「駈込み訴え」、農業大学の学生と交際せよーー「蜘蛛の糸」、中央官庁の官僚の前で不倫カップルを演ぜよーー「みだれ髪」、衛生隊所属の自衛隊員と親交を深めよーー「破戒」・「舞姫」の九編からなる連作短編集。

 

暴力に訴えないテロ組織の“細胞”(小隊のようなもの)に所属する兼業テロリストの久米・宮古・輪島の三人は、細胞のリーダー・入間から奇妙な指令を受ける。“行動だけが美学”と言い聞かせて任務を完了する三人に対して、細胞のメンバーである串本が指令の意図を推理して聞かせる、というのが基本的な流れ。「座間味くんシリーズ」の短編集や「殺し屋探偵シリーズ」と通じる、“日常のなかでふっと刃を突き出されるような恐怖感”が論理の面白さとともに堪能できた。

檸檬」・「小僧の神様」・「みだれ髪」の三編は久米、「一握の砂」・「駈込み訴え」・「破戒」の三編は宮古、「道程」・「蜘蛛の糸」・「舞姫」の三編は輪島という具合に視点人物が異なっており、それぞれのテロに対する考えやその変化の過程をより深く味わえた。

 

「解説」にあるように、石持作品には“テロ”をテーマにしたものが多い。

本作に登場した風船を用いた兵器は、ノンシリーズの『二千回の殺人』(2018年、幻冬舎文庫)でも応用されていた。

 

合理的な非暴力テロリズムは成就するのか。今、第二作を読んでいる。

 

 

<了>

視聴者ガックリ、僕はニッコリ

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はやく来い来いお正月。

 

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『相棒22』第9話「男の花道」(脚本:輿水泰弘、監督:橋本一)、面白かった。

主に①疑惑の正当防衛、②報復のハウダニット、③内村部長の人格変貌ふたたびについて書いていく。

 

①疑惑の正当防衛

正当防衛を覆す話は今シーズンで早くも二作目。先の「天使の前髪」(脚本:森下直、#4)は刺殺、今作は胴締めチョークスリーパーによる窒息死と、殺害方法は異なっていたが、果物ナイフが右京レーダーに引っ掛かった点では共通していた。

輿水泰弘脚本作品の正当防衛モノとしては、極限状態での誘導殺人を暴く「鮎川教授最後の授業」(S13#15・16)が思い浮かぶが、今作はそれよりもシンプルな事件だった。一瞬の殺意を認めさせる点では共通していたが、「鮎川~」では右京の危険性が強調されていたのに対して、今作は“いかにして体格差がある相手のバックを取ったのか”という疑問から果物ナイフの偽装を導き出す、ロジカルなミステリになっていた。物証は提示されなかったが、そこは弓生の人間的なキャラクターと“自首”という選択でカバーされていた。

特命係が弓生への追及を後回しにしたことは、「ペルソナ・ノン・グラータ」(脚本:輿水泰弘、S21#1・2)でも言及された“プライオリティ”を考慮した結果であり、メインの謎解きをラストに持ってくるための合理的な理由付けにもなっていた。右京がプライオリティを考慮して犯人逮捕を後回しにする話としては、「ライフライン」(脚本:櫻井武晴、S10#4)が挙げられる。

 

②報復のハウダニット

“どのようにして報復をするのか”なので、厳密にはハウダニットではないかもしれない。

意味深な会話の場面を途中で区切って視聴者をミスリードする“語りのトリック”は「冠城亘最後の事件」(S20#19・20)と共通していた。輿水脚本作品以外では「事故物件」(脚本:太田愛、S16#15)でも、この手法が用いられていた。

虎太郎や虎鉄のほかに血気盛んな組員がひとり登場したが、彼が葬式の場面に登場しなかったことは、寺の近くに潜む怪しい人影の描写と考え合わせると、“報復者は誰か”のミスリードになっていたと考えられる。拳銃に関する「至近距離から確実に急所を狙ってハジかなきゃ駄目だぜ」という桑田のセリフは報復方法の伏線になっていた。

捜査一課の三人が虎鉄に拳銃を向ける場面は、報復阻止の方法の伏線になっていた。芹沢の「撃っちゃえよ、せっかく持ってきたんだからよ」というセリフが、「プレゼンス」(脚本:輿水泰弘、S19#1・2)を経たからこそのものに思えて面白かった。

 

③内村部長の人格変貌ふたたび

https://www.tv-asahi.co.jp/aibou/cast/より引用。

私は「超・新生」(脚本:輿水泰弘、S19#10)での人格変貌は急遽決まった展開だと考えていた。理由は二つある。

ひとつは、虎太郎が傷害容疑、鬼丸が傷害教唆の容疑で連行されるという「超・新生」のラストが、扶桑武蔵桜編の完結とも捉えられるものだったこと。

もうひとつは、「プレゼンス」と「超・新生」の脚本が掲載された月刊『ドラマ』2021年2月号の作者ノートに「内村とヤクザの話を進めるに当たっては、この先、楓子が重要な役割を担うことになるだろうという予感がしていた」(60頁より引用)という記述があったことだ。

 

この仮説が間違っているらしいことがわかったのは、「暗殺者への招待」(脚本:輿水泰弘、S19#19・20)を観たときだった。「暗殺者~」は「プレゼンス」の続編で、前編では「プレゼンス」後の半年間の事件関係者の動向が描かれ、後編では再び大きく展開し始めた事件が進行形で描かれるという特殊な形式だった。「超・新生」は時系列的に「プレゼンス」と「暗殺者~」の中間に位置するのだが、内村部長の人格変貌のおかげで時系列がわかりやすくなっていたのだ(出雲のヘアスタイルの変化もその役割を担っていたと思われる)。シーズン9と劇場版Ⅱの時系列を特命係の木札の位置で表したのと同系統の手法だ。

真人間になった内村部長は「暗殺者~」において右京の要請で衣笠副総監から証言を引き出したり、その続編の「復活」(脚本:輿水泰弘、S20#1~3)において栗橋内閣情報官の連行を指示したりと、一連の事件において突破口の役割を担っていた。

 

これらのことから、内村部長の人格変貌は内閣官房長官を相手にする物語を描くうえで必要な展開だったと考えられる。同系統の話としては「双頭の悪魔」(脚本:輿水泰弘、S3#1~3)があるが、あのときは小野田公顕や瀬戸内米蔵といった大物たちが特命係に協力していた。特命係に協力的な大物が不在のなかで(鑓鞍兵衛は「暗殺者~」において“鶴の一声”疑惑がかかるのでノーカウント)長期にわたってVS内閣官房長官編を円滑に進めるためには、内村部長率いる警視庁刑事部を特命係の味方にすることが必要だったのではないか。

内村部長の人格変貌は、“特命係VS警察上層部”という対立構造を“特命係VS内閣官房長官”へと昇華させるための計算された展開だったのではないだろうか。

 

人事異動ではなく人格変貌という展開が用いられたのは、内村部長がプレシーズンから登場しているキャラクターであり、卒業させることのリスクが大きかったためだろう。

シーズン19では新たに捜査一課に配属された出雲が内村部長の命令でいびられていた。例えば、内村部長が退職して後任に社美彌子が就任→男社会に風穴が開くといった展開も可能だったろうが、そうならなかったのは、シーズン19の段階で社の内閣情報官就任までが視野に入っていたからかもしれない。そうなると、シーズン19前半での出雲へのいびりは内村部長の人格変貌を強調するための展開だったと考えられる。

 

「超・新生」で右京が言及した心理学者ディートハルト・フィッツェンハーゲンが架空の人物であること、「ペルソナ~」で芹沢が薫に「先輩の知ってる内村部長は、もう死にました」と言ったことから、“人格変貌”が合理的な荒業であり、“部長を実質的に交代させる”という意味を持っていたことがわかる。

 

部長交代と異なり、人格変貌には“元に戻る展開が可能”という特徴がある。

VS内閣官房長官編が鶴田翁助の自首によって完結したこと、「ボディ」(脚本:輿水泰弘、S17#1・2)以降、目立った動きを見せていなかった衣笠副総監が「無敵の人」(脚本:神森万里江、S22#1・2)で久々に暗躍を見せたことから、対立構造は“特命係VS警察上層部”へと戻りつつあることがわかる。「超・新生」から三年が経ったこのタイミングで扶桑武蔵桜編の完結とともに内村部長の人格を元に戻したことは、展開としてのおさまりがよく、合理的だといえる。

 

死んだわけでも生死の境を彷徨ったわけでもない桑田(なぜか死装束)が、昏睡状態の内村の枕元に現れた理由は不明だが、桑田の「せめて自分らしく生きようぜ」という現代的なメッセージによって内村の人格が元に戻る場面には、妙に胸に迫るものがあった。

“夢枕の手法”は「猛き祈り」(脚本:輿水泰弘、S11#10)では賛否を呼んだが、私は一度目の人格変貌を受け入れていたため、疑問が喚起されることはなかった。人格が元に戻るそもそものきっかけとなった階段からの転落にも“中園参事官が扶桑武蔵桜の解散を伝えたから”という因果をはっきりとさせる理由付けがなされており、行き届いていた。

 

一度は“デュープロセスの鬼”になったためか、元に戻った内村部長の発言にも説得力があるように思えたのは私だけか。特命係が警察内部の不祥事を暴けるのは、捜査権に縛られない立場にあるからこそだが、捜査権を持たない人間が捜査をすることは厳密には違法であり、“どちらが正しいのか”という大きな問題を提起している。

特命係の存在を認めず、“特命係=グレーゾーン”という認識を否定する内村部長のスタンスも、正義のひとつには違いない。人格変貌を目の当たりにしたことで、私はそのことを強く実感した。個人的には、内村部長は「規矩」寄りの「古轍」になったように思えるのだが、今後どのような振る舞いをするのか、楽しみである。

 

その他

・「恐怖の切り裂き魔連続殺人!」(脚本:輿水泰弘、PS#2)の冒頭を彷彿とさせる口上をはじめ、薫の調子の良さが初期のような雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、右京ののらりくらりとした態度は“亀山さん効果”なのかもしれない。

・扶桑武蔵桜の解散の顛末を記事にして、薫に「暴力団の未来心配する前に日本の未来心配しろっつーの」と言わしめた美和子。櫻井武晴岩下悠子、川﨑龍太の脚本作品では硬派なジャーナリストとして描かれている美和子が、「大金塊」(S21#11)をはじめとした輿水脚本作品では“フォトス的”に描かれているのが興味深い。

・浅戸組織犯罪対策部長の「結局、悪は滅びるんだなあ」というセリフや、階検事のヤクザに対する物言いがスリリングで面白かった。「容疑者六人」(脚本:輿水泰弘、S16#20)以降のひとつのテーマだった“暴排条例”が今後取り上げられるかはわからないが、階検事の野心家だけではない一面、ヤクザに対する並々ならぬ嫌悪感を基に話が展開することがあるかもしれない。

 

ameblo.jp

階検事が元日スペシャルにも登場するようだ。楽しみすぎる。

 

生きねば。

 

 

<了>

つきすぎている

インターホンが鳴った。

どうせ父か姉が注文した宅配便だろう。そう思いながら玄関を開けた。

案の定、宅配便だった。

送り状に目を走らせる。私宛ての荷物だった。

 

ん?

 

ゴーちゃん。!?

 

マジ!?

 

Woohoo!

 

完全に忘れていたが、二か月前に『相棒』のプレゼント企画に応募していたのだった。

www.tv-asahi.co.jp

 

『相棒』のプレゼント企画に応募し始めて六年くらいになるが、当選する日が来るとは夢にも思っていなかった。なんせ「各10名様」だ。フォームも一度しか送信していないので、当選する確率は限りなく低かったはずだ。

ダメ元だったので、いつも通り新シーズン初回の感想をハイテンションで綴っただけだ。どんな感想かは恥ずかしいので書かないが、上限の2000字ぎりぎりまで書いたわけではない。

 

 

何はともあれ、中身の確認だ。

www.youtube.com

 

クリアファイルに入った当選案内。すげー。

 

ブルーレイボックス。本当に自分のものになったのか、実感が湧かない。

 

裏側はこんな感じ。シルエットロゴの部分は触るとボコッとしている。

 

ボックスの背の部分。心地よい重み。

 

反対側はこんな感じ。おしゃれなデザイン。

 

小一時間シュリンク越しにボックスを撫でまわし、開封した。

 

こういうシール、好きです。

 

ディスクケース。やはりおしゃれ。

 

オープン。左右に三枚ずつの計六枚。

 

新デザインの「特命事件ファイル」-ブックレット。シンプルなデザイン。

 

「特命事件ファイル」のデザインは相棒ごとに統一されてきたが、再び一新された。

左から、亀山、神戸、カイト、冠城。

 

ポスターが二枚。裏面には収録話の基本情報が載っていた。ディスクケースに記載されているパターンしか知らなかったが、ポスターの方が得した気分になれるかも。

 

 

オモコロ杯といい、今回のことといい、今年はつきすぎている。おかしい。

無理矢理自動車教習所に通わされたり、謎の高熱で数日間ダウンしたり、寸借詐欺にあったり、電車でアイスを食べていた人のせいで靴が死んだり、歯肉が腫れて口が閉じなくなったりと、確かに試練も多い年だったが、それにしてもつきすぎている。

「日頃の行いのおかげだ」と家長には言われたけど、ぜんまいざむらいじゃあるまいし、一日一善を心掛けていたわけではない。規則正しい生活を心掛けていただけだ。

やはり、私は死ぬのではないだろうか。

 

おそらくもう、当選することはないだろう。

だが、今後も応募は続ける。習慣だからだ。規則正しい生活万歳。

 

とりあえず観られるうちに『相棒21』を、そして『相棒22』を堪能しよう。

コロンボもまだ折り返し地点だ。

ブルーレイプレイヤーが嬉しい悲鳴をあげるだろう。

 

ありがとうございます!

 

 

<了>

クライマーユ・ハイ

先週の土曜日。親にデートと嘘ついて、ひとりで出かけた。

出不精なので休日にわざわざ出かけることはあまりしないのだが、未来屋書店のポイントが切れそうなときは別だ。

 

本屋にだけ行ってすぐに帰るのは着替え損な気がしたので、『怪物の木こり』という映画を観てきた。人生二度目のひとり映画。

主演は亀梨和也さん、監督は三池崇史さん。私が初めて劇場で観た実写映画は2009年の『ヤッターマン』なのだが、今調べたらそれも三池崇史監督だった。すごい偶然。

wwws.warnerbros.co.jp

 

混雑を避けようとしたら、大学の一限よりも開始時刻が早い回を観ることになった。

こんな早い時間に映画を観るカップルはいないだろう。

現地で撮ればよかった。

大学生でも千円。学生のうちにもっと映画を観ておくべきかもしれない。

 

一番乗りに成功。入場者特典らしき四つ折りポスターが貰えた。

入口の写真。忘れずに撮った。

朝早い回だったためか、客は私を含めて十人未満。想像以上に空いていた。「前、失礼します」と言わずに済んでよかった。

 

今回『怪物の木こり』を観たのは、原作を読んでいたからだ。

(2019年、宝島社)

良心の呵責を覚えることなく、自分にとって邪魔な者たちを日常的に何人も殺してきたサイコパスの辣腕弁護士・二宮彰。ある日、彼が仕事を終えてマンションへ帰ってくると、突如「怪物マスク」を被った男に襲撃され、斧で頭を割られかけた。九死に一生を得た二宮は、男を探し出して復讐することを誓う。一方そのころ、頭部を開いて脳味噌を持ち去る連続猟奇殺人が世間を賑わしていた。すべての発端は、二十六年前に起きた「静岡児童連続誘拐殺人事件」にーー。

-カバーそでより引用。

著者の倉井眉介さんは同書で第17回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞してデビュー。当時『王様のブランチ』のブックコーナーで特集されていた記憶がある。私が持っているのは単行本だが、今では文庫化もされている。

 

映画の感想は最後に。

 

劇場を出た足で未来屋書店へ。

気になる新刊はいろいろとあったが、せっかくなので倉井さんの最新作『怪物の町』を買った。

(2023年、宝島社文庫)

表紙の雰囲気は同じだが、あらすじを読む限り『怪物の木こり』の続編というわけではなさそうだ。積ん読が大変なことになっているので読むのはだいぶ先になりそうだが、読了したらこの本についても書く。

 

ポイントを使い、税込み789円の文庫を405円で買った。

映画代と合わせても1500円未満。すばらしい。

 

目的は果たしたので帰宅。

午前中に帰宅した時点でデートでないことはバレているだろう。

 

貰ったポスターを開くと、見覚えのある文字列が。これは、スペイン語

調べたら、どうやらスペインで開催されたシッチェス映画祭で上映されたときのビジュアルポスターらしい。聞いたことがない映画祭だが、毎年邦画を含めたホラーやファンタジー映画が上映されているようで、今年は『首』や『君たちはどう生きるか』、『#マンホール』なども上映されたらしい。

「PELÍCULA」は確か「映画」という意味だ。スペイン語を履修したことが初めて役に立った。

 

 

感想など

※以下ネタバレあり

数年前に初めて原作を読んだときに思ったのは「映像化は無理だな」ということだった。斧で頭を割り、脳味噌を持ち去るという犯行のグロテスクさもさることながら、小説だからこそ成立するトリックが施されていたからだ。だからこそ興味を惹かれたわけだが、話の大筋を知っている状態で映画を観るのは、ある意味で賭けだった。

 

結果から言えば、私は賭けに勝った。映画『怪物の木こり』はとても面白かった。

立場をわきまえずに言ってしまえば「脚色が上手い」のひとことに尽きる。長編小説を二時間弱の映像にするうえで割愛などがなされるのは当然だが、今作では、原作を読んだときに私が感じていた引っ掛かりが脚色によって解消されていたのだ。

 

冒頭のカーチェイスや、絵本『怪物の木こり』に焦点を当てたタイトルの出し方やストーリー、誘拐事件・殺人事件の詳細など、細かな変更点を挙げたらきりがないが、大幅な変更点としては①二宮彰と杉谷九朗の距離感②戸城嵐子・荷見映美のキャラクターと結末のふたつが挙げられる。

 

①二宮彰と杉谷九朗の距離感

サイコパス弁護士の二宮彰(演:亀梨和也さん)は自宅マンションの地下駐車場で怪物マスクを被った人物に斧で襲撃される。頭部を負傷したものの一命を取り留めた二宮は、担当医の益子から、かかりつけ医に脳チップを診てもらうことを勧められる。しかし驚くべきことに二宮は、その時まで自身の脳にチップが埋め込まれていることを知らなかったのだ。

怪物マスクの「お前ら怪物は死ぬべきだ」という言葉から、自身の殺人行為を知られていると考えた二宮は、警察よりも先に怪物マスクの正体を突き止めて復讐することを誓い、友人のサイコパス医師・杉谷九朗(演:染谷将太さん)に協力を求める。

 

原作では「杉谷が人の脳をいじって喜んでいるような人間であることを考えると、脳チップのことを話すのは賢明とは思えなかった」(単行本56頁より引用)という理由で二宮は杉谷に脳チップのことを秘する。

「お前『ら』」と怪物マスクが言ったこと、襲撃以前に二宮が杉谷の同僚に尾行されたこと(原作・映画ともに、その人物は二宮によって殺害されている)から、怪物マスクの正体が杉谷が勤める病院の関係者であると考え、ふたりは杉谷の従兄・健吾を拷問する。その際に二宮がとどめを刺せなかったことから、脳チップの存在が杉谷の知るところとなる。物心がつく前に手術が行われたらしいこと、“脳チップの故障によって人が殺せなくなった”というあべこべな事態から、二宮が「静岡児童連続誘拐殺人事件」の隠れた被害者である可能性が浮上。さらに刑事の訪問を受けた二宮は、怪物マスクが巷を騒がせている“脳泥棒”と同一人物であることを知る。

 

映画では、二宮は脳チップの存在を早い段階で杉谷に明かしており、児童連続誘拐殺人事件と脳泥棒連続殺人事件が早い段階で結びつけられている。

自身と誘拐事件の関連を警察に知られないようにするべく、二宮と杉谷は二宮の脳チップの存在を知る益子医師を拉致し殺害する。益子医師の殺害は原作にはないが、自身への手がかりを消したいという二宮の殺人犯としての心理に適っている。結果的には事件と無関係な杉谷健吾の拷問死を割愛し、頭部の負傷によって二宮が人の心を取り戻しつつあることを示す場面を結合した脚色はとても合理的である。また、益子医師が失踪したことをきっかけに警視庁のプロファイラー・戸城嵐子が二宮に対する疑惑を深める展開もスリリングだ。

二宮が本当に人を殺せなくなったのか試すために怪物マスクを被って二宮を襲うなど、映画の杉谷の行動は原作よりもエキセントリックであり、そのぶん二宮との対比が鮮明になっていた。

 

②戸城嵐子・荷見映美のキャラクターと結末

戸城嵐子(演:菜々緒さん)は、原作では捜査一課の刑事だが、映画では原作のみに登場する科警研のプロファイラー・栗田とミックスされ、警視庁のプロファイラーという設定になっていた。プロファイラーとしての分析力と、刑事顔負けの行動力を兼ね備えた魅力的な探偵役になっていた。

荷見映美(演:吉岡里帆さん)は二宮の恋人で女優を目指す人物。有力者である父親に結婚をせっつかれ、干渉を減らすためだけに二宮との交際を始めた(二宮は権力目当て)。原作では二宮に対する不信感を露わにする強気な人物だったが、映画では原作よりも落ち着いた人物になっていた。“人の心を取り戻していく二宮と、彼に対して心を許していく映美”という見どころは原作と共通していたが、映画では映美にまつわる重要な要素が追加されていた。結末に触れるためその要素については明記しないが、原作者の倉井さんが映画公開前のインタビューで語っていたように、原作と映画では結末が異なっていた。

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結末の直前も原作とは異なっていた。原作では“良心の呵責なく殺人を繰り返す怪物”としてではなく“人として人を殺める二宮”が描かれており、映画では“人を殺せなくなった二宮”に適った展開が用意されていた。ラストの「怪物の木こりはたくさんの友だちをつくりました」という二宮のセリフは、人は誰しも怪物になり得るのだと感じさせるものだった。

 

 

ついついストーリーについてばかり書いてしまった。脚本を書いたのは映画プロデューサーの小岩井宏悦さんとのことだが、原作をどうアレンジするかは脚本家に一任されるものなのだろうか。あまり滅多なことは書けない。

 

気になっていたグロ描写については、想像していたほどエグくはなかった。血が噴き出るシーンや捜査資料の写真として血まみれの遺体が映る場面はあったものの、激しく損傷した頭部や腐敗した遺体が映る場面では、ピントを別の場所に合わせる演出がされていた。いたずらにグロくなかったためストーリーに集中できたうえ、カーチェイスやアクションなど迫力満点の映像を楽しめたので、個人的には満足している。

 

全然瞬きをしない二宮彰、なんだかんだ最も危険な杉谷九朗、違法捜査も厭わない戸城嵐子、複雑な想いを秘める荷見映美をはじめとした登場人物たちを観て、役者さんってやっぱり凄いなとしみじみ感じた。

 

映画がかなり良かったので、数年ぶりに原作を読み返した。二度目だということもあったが、章立てが細かくて読みやすく、すぐに読み終わってしまった。原作では犯行場所や犯人の移動手段に焦点を当てた謎解きが楽しめる。キャラクターの毒々しさもより味わえた。

 

小説にも映画にもそれぞれの良さがあるので、気になった方は是非。

 

「脚色が上手い」などと言ってしまう人間に、映画デートをする日は訪れるのだろうか。

 

 

<了>

気まずさシンデレラ

ゼミの食事会は盛況のうちにお開きとなった。

同期のひとりが先生や先輩にもグイグイいってくれたおかげで、会話が途切れることがなかった。会話に必要なのは経験ではなく、やはり才能なのではないか。剥き出しのコミュ力に晒されながら、そんなことを思った。

私はといえば、同期の野郎共とともに、光の速さで忘却の彼方へ行ってしまう類いのバカ話に興じていた。これまで話したことのなかった者もいたが、こういう話ならできてしまう不思議。先生や先輩との仲は特に深まらなかったが、楽しかったのは間違いない。

この手の催しに参加するのは初めてだったが、世の大学生はこんなにも楽しいことを頻繁にやっているのか。そりゃドロップアウトもするわけだ。

 

野郎共と別れて駅のホームに向かう。私だけ方向が違うので、ホームも違う。

寂しい気持ちでホームへの階段を降りていると、前方に見覚えのある背中があった。

先生だった。さっきまで一緒だった、先生だった。

声を掛けるべきか、否か。声を掛けたら、同じ電車に乗ることになるだろう。

果たして間が持つだろうか・・・・・・。

否!

反射的に踵を返していた。食事会という魔法は解けたのだ。

楽しかった空気を引きずって調子に乗ると、ろくなことにならない。

もうひとつの階段を、シンデレラのように駆け降りる。

ごめんなさい、先生。人はそう簡単には変わらない。

 

乗り換え駅に着いた。

改札を出ると、後方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

おそらく、同期の女子と先輩だ。ふたりとも食事会では別のテーブルにいた。

挨拶をするか、否か・・・・・・。

否!

声の大きさからしてかなり近いところにいたはずだが、声を掛けられたわけではないのをいいことに、私は聞こえないフリをした。

そそくさと移動して、次の電車を待つ。まさか同じ方向だったとは。

勇気を出して声を掛けるべきだっただろうか。気まずくなる未来が見えていたとしても。

 

微反省しながら電車に揺られる。流石にもう、同じ方向の人間はいなかった。

知り合いが増えたときにいつも思うのは、急に挨拶を交わすようになるのは不自然ではないかということ。

気まずさの本番は、次のゼミかもしれない。

 

今、改めて思い返す。

私は本当に食事会で会話をしたのだろうか。

忘却の彼方へ行ってしまったのではなく、本当に話をしていなかったのではないか。

すべて夢だったのではないだろうか。

 

GとHの間に、熱い水が落ちた。

 

 

今週の読了本

石持浅海さんの『賢者の贈り物』-国内外の名作を題材にした日常ミステリ短編集。

(2011年、PHP文芸文庫)

◎女の子たちと家でパーティー。翌朝、僕のサンダルが消え、女性物の靴が一足。誰かが、酔っ払って間違えたようだ。でも誰も申し出てこない。なぜ?(「ガラスの靴」)◎素性をなかなか明かしてくれない僕の彼女。なぜ?(「泡となって消える前に」)◎フイルムカメラからデジタルカメラに替えた私。しかし妻からカメラのフイルムが贈られて・・・・・・。なぜ?(「賢者の贈り物」)など。思考の迷路にいざなう10の物語。

-裏表紙より引用。

 

上記の三編のほかに、携帯電話の代替機にチャージされていた電子マネーの謎に迫る「金の携帯 銀の携帯」、“後任の社長には、君たち取締役の中から『最も大きな掌を持つ人物』を据える”ーーそのジャッジを任された社外取締役の苦悩を描いた「最も大きな掌」、絶対にバレないカンニングの方法を編み出した高校生が予期せぬ事態に見舞われる「可食性手紙」、“この箱を開けてしまったら、もう二度とあなたとは会えなくなるでしょう”ーー青年が密通相手からのプレゼントの謎に挑む「玉手箱」、ワインにハマってしまった味オンチの男にワインをやめさせる方法は?ーー「経文を書く」、失恋のショックでやけ食いをする女性が“優しい罠”に嵌まる「最後のひと目盛り」、株を保有する会社の不穏な情報を耳にした男が友情のために奔走する「木に登る」の七編が収録されている。

 

イソップ寓話「金の斧 銀の斧」「旅人と熊」、童話「シンデレラ」「浦島太郎」「人魚姫」、ギリシャ神話「黄金の林檎」、童謡「やぎさんゆうびん」、O.ヘンリーの小説「賢者の贈りもの」、「最後のひと葉」、怪談「耳なし芳一」が取り込まれた十の物語は、それだけでもかなり異質な作品だが、連作短編集ではないにもかかわらず、すべての物語に「磯風(いそかぜ)」という女性が登場する点で、より異質な作品になっている。

作品ごとに「磯風」の年齢や職業、物語における役割(出題者、探偵役など)は異なっており、すべての「磯風」が同一人物とは限らない(「泡となって消える前に」では「磯風鈴音」というフルネームが明かされているが、そのほかの話では「磯風」としか書かれていない)。

 

「磯風」を「いそふう」と読めば「イソップ」と語感が近くなることから、彼女の存在はフィクション性を高めるための仕掛けだと捉えることができる。だが、すべての話に寓話よろしく教訓があるわけではなく、日常に放り込まれた謎や問題が描かれていることからも、フィクション性を強調する意義は薄いように思える。

そこで「磯風」が同一人物である前提に立つと、“もうひとつの物語”が見えてくる。

私がその可能性に気付いたのは「玉手箱」を読んだときだったが、最後まで読んでも私の推理が正しいかどうかはわからなかった。だが「磯風」の仕掛けは「解説」でも仄めかされていたので、当たっている可能性は高そうだ。

 

「磯風」を同一人物として読むか否かで読後感がガラリと変わる、奇妙な一冊だった。

 

日常ミステリの形をとることによってより濃厚になった、石持作品特有の論理性、状況の特殊性も堪能することができる醍醐の一冊。気になった方は是非。

 

 

今週の些事

・電車で乗り合わせた人と、リュックと靴が同じだった。

・路上で堂々と立ち小便をするおじさんを見た。

 

 

<了>