因果だぜ!!

教習所に行った。

 

持参したおにぎりがリュックの中で破裂して、教本に米粒が付いてしまった。

水筒のフタが開いていて教科書に麦茶のシミができるというのはあるあるだが、教科書に米粒を付けているのは裸の大将くらいのものだろう。

おにぎり自体は見た目には汚れていなかったのが不幸中の幸いだった。

 

午前の教習を終え、カフェスペースで件のおにぎりを頬張る。

いつもは車に関するビデオをエンドレスに垂れ流しているテレビが、今日は野球の中継を流している。

常に無音のテレビなのでしばらく気付かなかったのだが、教官や高齢者講習を受けに来たご老人がやたらとやって来るので何かと思っていたら、野球をやっていたのだ。

ただ壁を見ながらおにぎりを食べるのもヒマなので、チラチラとテレビに視線を投げる。

おかげで日本の勝利の瞬間を見ることができた。ラッキー。

 

その十数秒後、私の後ろのテーブルに座っていた男が「え、ウソ!よっしゃ!」と、にわかに騒ぎ出した。

どうやら彼は自分のスマホで中継を見ていたようで、時差で日本の勝利を知ったらしい。

人目を憚らずにガッツポーズをして、イスをガタガタいわす男。ちょっと落ち着け。

 

私は彼のスマホを見たわけではないが、周りの状況から彼が野球を見ているのだと思った。

彼が受験の結果や賭け事の結果を見ていたとしても、周りの人間には野球を見ているとしか思われない。

なんだか変な気分だった。なんかのトリックに使えないかな。

 

これまでの人生で、私は何度ガッツポーズをしたのだろう。

数回しかしていない気もするし、意識していないだけで何度もしている気もする。

ただ、明確に記憶しているガッツポーズもある。

 

小学五年のある日、私たちの学年は体育館に招集された。

間近に迫るキャンプに向け、カレー作りのグループを決めるのだ。

私たちの学年は三クラス。

まず各クラス内で小さなグループを作り、くじで小グループを三から四つ組み合わせて大きなグループを作るという方法だった。

つまり、運が良ければ見知ったクラスメイトだけで大グループを構成できるのだ。

まあ、この学年も五年目だし、知らない顔が集まるなんてこともないだろう。

 

ところが、くじの結果はそう甘くなかった。

よりによって私たちは、交流が薄い他クラスのグループと組むことになってしまったのだ。

私たちは絶望した。向こうも絶望していたと思う。

 

しかし、天は我々を見放してはいなかったのだ。

「くじにミスがあったのでやり直します」という天声が聞こえてきた。

やり直しといっても全てではなく、直前にくじを引いた私のクラスだけだった。

知らない人が集まったグループから私たちだけが脱出できる可能性が出てきたのだ。

 

この知らせに私はガッツポーズをした。

私のクラスの他の小グループたちも先の結果には不服だったとみえて、皆大喜びをしていた。

 

「オイ!」

 

突然、私の担任が怒鳴った。

 

「喜ぶな、失礼だろ」

 

その瞬間、私を含めたクラスメイトは全員もれなく「しゅん・・・」となった。

 

そうだ、私たちはとんでもなく失礼な振る舞いをしてしまったのだ。

恥ずかしい、恥ずかしかった。

バレーボールのポールを刺す穴に入りたいほど恥ずかしかった。

 

 

しかも、くじの引き直しの結果、私たちは先ほどと同じグループに入ることになった。

因果応報だ。

人生で一番気まずい思いをしつつ仲間とともに詫びると、「こうなる気がしたよ」というなんともなコメントが返ってきた。

 

 

この出来事以来、私は感情を露わにして喜ぶことをしなくなった。

しっかり考えてから静かに喜ぶようになった。

 

大人になると、大々的に喜ぶ出来事も減ってくる。

 

スポーツって、良いですね。

 

 

 

今週の読了本

若竹七海さんの『死んでも治らない 大道寺圭の事件簿』

(2005年、光文社文庫)

 元警察官・大道寺圭は、一冊の本を書いた。警官時代に出会ったおバカな犯罪者たちのエピソードを綴ったもので、題して『死んでも治らない』。それが呼び水になり、さらなるまぬけな犯罪者たちからつきまとわれて・・・・・・。大道寺は数々の珍事件・怪事件に巻き込まれてゆく。

 ブラックな笑いとほろ苦い後味。深い余韻を残す、コージー・ハードボイルドの逸品!

-裏表紙より引用

 

講演後にチンピラに拉致される「死んでも治らない」、顔見知りの小悪党に娘探しを依頼される「猿には向かない職業」、読者から届く推理小説の添削依頼の手紙が思わぬ事態を招く「殺しても死なない」、死んだジャーナリストの遺稿を引き継ぐことになった大道寺が噴火間近の山で奮闘する「転落と崩壊」、葉崎市での講演直前に海上で監禁されてしまう「泥棒の逆恨み」といった大道寺の不運ぶりと鋭さが味わえる五つの短編。

 

それに加え、「大道寺圭最後の事件」というフリーライター殺しの捜査の模様が分割されて各話の前後に挿入されている。なぜ大道寺は警察を辞めたのか。物語を読み進めていくと、事件がどんどん繋がっていくスーパー・オムニバス・ミステリー。まさに因果。

葉村晶シリーズに雰囲気が近く、とても面白かった。

 

解説によれば、葉崎市シリーズのみならず『ぼくのミステリな日常』や『スクランブル』とも関連しているらしい。

読む順番をまた間違えた。

 

『ミステリアス・ジャム・セッション』も買おうかな。

 

 

<了>

『相棒』と共同体

『にっぽんコミューン』という本を読んだ。

 

(アサヒグラフ編、1979年、朝日新聞社)

図書館の配布図書コーナーからいただいたものだ。

奇妙なタイトルと、内容を全く窺い知れない表紙に心惹かれた。

パラパラとページをめくると白黒写真が多く目についた。

どうやらルポルタージュの類らしい。

普段は読まないジャンルだが、この出会いを大切にしたいと思った。

 

というのは嘘だ。

この本に心惹かれたのは事実だが、持って帰ろうとまで思ったのはタダだったからだ。

廃棄される本を貰って読む。スーパーSDGsだ。サンキュー配布図書。

 

我が家にやってきた『にっぽんコミューン』は半年間放置されていた。

タダの副作用。生き物じゃなくてよかった。

このままじゃ一生読まなくなるので、一念発起して読んでみた。

「コミューン」というのは「共同体」に近い言葉らしく、この本は日本各地の共同体を取材した連載をまとめたものだった。

14の共同体が取り上げられていた。

文明に頼らない生活を営む『ザ・ノンフィクション』的な若者たちから、確固たる目的や主義を掲げる人たちまで様々だった。

 

かつて友人に「将来、ヒッピーか仙人になりそうだ」と言われたことがある。

私は何も考えていない割に落ち着いているだけであって、確固たる信念もなければ山籠もりの願望もない。

まして浦島太郎になるリスクを負ってまで今の生活を捨てる覚悟など無い。

 

『にっぽんコミューン』を読んだことで共同体に対する理解が深まった。

やむを得ない事情や成り行きで生まれた共同体があること、精神的共同体だけではなく合理的にお金を稼ぐための共同体もあることを知った。

小さな共同体は大きな社会へのカウンターではなく、「より良い生活」を模索した結果だったのだ。

 

覚悟を持った人間は浦島太郎にはならないのだろう。

現に、この本で紹介されている共同体の多くは今も存続している。

 

取材者はもちろん共同体の人間ではないので、共同体に対する懸念点なども述べられている。

例えば、生活リズムや人間関係の均一化が住人の性質をも均一化してしまうことや、共同体で生まれた子どもの将来についてなど。

共同体の外に巨大な競争社会が厳存している以上、この問題はいつまでも付きまとうだろう。

 

『相棒』にも共同体が登場する話がいくつかある。

新世界より」(脚本・金井寛)にはSNSによる誹謗中傷に心を痛めたIT企業の創業者が、山を購入して賛同者とともに始めた反文明の共同体が登場した。

この村で生まれ育った子どもたちは創始者が著したディストピア小説を歴史書として与えられていた。

その小説の舞台はパンデミックが起きて荒廃した2070年の地球であったため、村から迷い出た少年少女がタイムスリップをしたと思い込み、パンデミックを止めようと事件を起こす・・・。という『相棒』の中でもかなりぶっ飛んだ話だった。

 

誤った歴史を教えられた子どもが現代社会に放り出されたとき、何が起きるのか。

オオカミに育てられた子どものように対応できずに死んでしまうのか。それとも・・・。

新世界より」では言葉が通じる人間同士であること、タイムスリップしたと思い込んでいることが作用してか、村から迷い出た彼らは現代社会にすばやく適応していった。

そのあたりのリアリティは検証のしようもない。

 

文明を持たずに暮らすことは個人の自由だ(口で言うほど容易くはないが)。

問題は、大人たちが自分に都合の良い教育を村で生まれた子どもたちに施していたことである。

共同体で生まれた子どもたちの立場の難しさが描かれていた。

 

輿水泰弘脚本作品にも共同体や、それに準ずる集団が登場する。

「森の中」「猛き祈り」の“まろく庵”や、「アレスの進撃」前後編の“信頼と友好の館”などだ。

「ビリーバー」の“火の玉大王”とそのリスナーたちや、「13」前後編の“ながとろ河童塾”も共同体と言えなくもない。

いずれの話でも共同体による犯罪が描かれているが、共同体と犯罪組織はもちろん違う。

犯罪組織は犯罪を目的としているのに対し、共同体による犯罪は手段である場合が多い。信仰を守るため、裏切者に制裁を加えるため、などだ。

ドラマとしては舞台を共同体にすることによって、無理筋に思える動機に説得力を持たせたり、逆に「理解できなさ」を強調することができるのだ。

 

「森の中」「猛き祈り」では現行法成立以前から存在する即身仏信仰と、法の下の正義の対立が描かれた。

即身仏になることの手助けは自殺幇助罪などにあたる。

警察は罪を暴くために土中の仏を掘り出すことができる。

法的には正しい行為でも、見方によっては死者への冒涜にあたる。

最終的には仏は掘り出されず、妥協的な結末になっていた。

フィクションであっても(だからこそ)、伝統的信仰・価値観の否定は難しいのだろう。

 

フィクションで共同体を描くことは現実の共同体に対する偏見を助長することもある。

だから、見るものはあくまでもフィクションであることを肝に銘じなければならない。

 

 

もはや、自分でも何を書きたいのか分からなくなってしまった。

 

とりあえず『にっぽんコミューン』は興味深い本だった。以上。

 

 

<了>

答え合わせ

『相棒season21』が終わった。

 

放送にあたって、私が個人的に立てていた予想があった。

・陣川公平が登場する

・放送399回、400回が前後編スペシャ

・「Wの悲喜劇」シリーズの新作が放送される

・入江信吾脚本作品が放送される

 

結果は以下の通り。

・陣川公平が登場する ⇒ ✖

「相棒コンサート-響- 2022」の名古屋公演に陣川役の原田龍二さんがゲスト出演したので、シーズン21にも陣川回があると思ったが予想は外れてしまった。

 

・放送399回、400回が前後編スペシャル ⇒ ✖

放送300回記念スペシャルのときと同様に、第13話(399回)、第14話(400回)で輿水泰弘脚本の前後編スペシャルが放送されると予想。

予想は外れたが、最終回は放送400回突破記念の前後編スペシャル(脚本・輿水泰弘)だった。

 

・「Wの悲喜劇」シリーズの新作が放送される ⇒ ✖

亀山夫妻の新居でゴタゴタが起こるとの予想は外れたが、「最後の晩餐」(第4話)、「13」(最終話)などに「美和子スペシャル」が登場した。

 

・入江信吾脚本作品が放送される ⇒ ✖

『月刊ドラマ』での記述から入江さんがシーズン6ぶりに『相棒』の脚本を書くと予想。

aibouninngenn.hatenablog.com

放送開始時に世紀の大発見の如く書いてしまったが、結局入江さんの新作は放送されなかった。

一体、何だったんだ。

 

 

結局、私の予想は大外れだった。

 

ということだけを書いても始まらないので、小野田元官房室長の遺骨盗難とシーズン20「復活」のラストシーンで右京が小野田に似た男とすれ違ったことの関係を考察しようと思う。

 

私は右京が小野田似の男にすれ違ったことが、遺骨盗難のシグナルだったのではないかと考えた。

 

そこで、シーズン19以降の主要な出来事をまとめてみた。

 

2020年4月 白バイ隊員・出雲麗音が銃撃される。(「プレゼンス」)

同年10月 出雲が捜査一課に異例の配属。(「プレゼンス」)

同年12月 内村刑事部長の人格が変貌。(「超・新生」)

 

2021年3月 加西周明が暗殺され、内調職員・柾庸子が逮捕される。(「暗殺者への招待」)

同月末 柾が拘置所内で自殺したと報じられる。(「復活」)

4月 冠城亘逮捕に始まり、特命係と鶴田翁助内閣官房長官の対立が激化。一連の事件解決後、右京が小野田に似た男とすれ違う。(「復活」)

 

2022年3月 冠城が公安調査庁に異動。(「冠城亘最後の事件」)

同年夏 小野田の遺骨が盗まれる。(「13」)

同年9月頃 亀山薫、帰還。(「ペルソナ・ノン・グラータ」)

同年10月 亀山夫妻が小野田の墓に参る。(「13」)

 

2023年3月 遺骨盗難犯よりアプローチ。チーム右京が本格的に捜査に着手。(「13」)

 

時系列にまとめてみると、放送としては半年の期間が空いた「暗殺者への招待」と「復活」がごく短い間の出来事だったことが分かる。

 

私は、右京が小野田似の男とすれ違ったのが遺骨盗難と同時期だという仮説を立てていたのだが、2021年春からの1年強を完全にすっ飛ばしていたことが分かった。

 

録画の見過ぎで、リアルと『相棒』の区別がつかなくなっていた。

 

よって、この仮説は正しくない。

 

反省

この仮説を世紀の大発見のように思い込み、調べ始めてしまった。

途中で大きな見落としには気付いたが、あえて書き進めた。

 

www.youtube.com

シーズン20に岸部一徳さんが出演した経緯については、こちらの配信で語られている。

 

 

aibouninngenn.hatenablog.com

aibouninngenn.hatenablog.com

aibouninngenn.hatenablog.com

 

トンデモな予想や考察を繰り返して、生きていこう。

 

 

<了>

八嶋智人がトイレに流された。

八嶋智人がトイレに流される。

 

そんな記憶が、私にはある。

 

古い学校にあるような、タイル張りのトイレの個室。

ドアを開けると、そこにはバンザイをした八嶋智人がいた。

彼の下半身は、既に洋式のそれに飲み込まれている。

次の瞬間、八嶋智人は高速回転しながらトイレに流されていった。

 

そんな映像を観た記憶が、私にはある。

 

一番古い記憶という訳ではないだろうが、この記憶は私の中にずっとあった。

トラウマのような、夢のような記憶だ。

 

 

そんな記憶を抱え生きて、十数年。

折あるごとに「八嶋智人 トイレ 流される」などと検索してみたが、それらしいものは見当たらなかった。

 

 

しかし、謎は突然に氷解した。

先日、YouTubeを観ている時のことだった。

 

私がチャンネル登録している投稿者が、一本の動画をアップしていた。

スーツ姿の男ふたりの首が宙に浮いているというサムネイルの動画で、『世にも奇妙な物語』で放送された超短編作品を観ていくという内容だった。

 

その動画内で紹介された作品のひとつに、強烈なデジャヴを覚えた。

 

とあるレストラン。

テーブル席でコーヒーを飲んでいたサラリーマンが立ち上がり、食器を片付けている店員に「トイレ貸して」と一言。

店員は「すいません、使用禁止になってます」と答えるも、男は「トイレぐらい使わせろよ!」と横柄な態度でそのままトイレへ。

「お客さん!」

困った様子の店員は慌てて「使用禁止」の張り紙があるドアを開ける。

水洗の音。

絶叫する店員の視線の先には、下半身から洋式トイレに流されていく男の姿が。

「助けてくれー!」

叫びも虚しく、男はトイレに流されていった・・・。

 

 

ああ、これかもしれない。

トイレの雰囲気や流され方は記憶とは異なるが、バンザイをした男がトイレに流されるという点では一致している。

サラリーマン役の男は八嶋智人ではなかったが、おそらく記憶が混同したのだろう。

 

 

世にも奇妙な物語』だったか。

どうして今まで思い至らなかったのだろう。

 

 

この作品の放送日を調べるために、私はウィキペディアを開いた。

 

世にも奇妙な物語』のページには「世にも奇妙な物語の放映作品一覧」という項目があった。

調べてみると、超短編作品は「アバンストーリー」と呼ばれ、放送の導入を担っていたことが分かった。

書かれているあらすじから、問題の作品は1990年に放送された「レストランのトイレ」だと分かった。

 

1990年、私が生まれるより10年以上も前だ。

私はいつ、どこで、この作品を観たのだろうか。再放送でだろうか。

 

 

そんなことを考えつつ、画面を下にスクロールしていくと、ある記述が目に留まった。

 

トイレっと(「レストランのトイレ」のリメイク)
急いでトイレに駆け込む男(田中要次)、しかしトイレは掃除中。清掃員のおばさん(山梨ハナ)は「トイレは使用禁止なの」と言うが男性は無視して「使用禁止」のトイレに入った。男が用を足したあとに洋式便所のレバーを回すと、突然トイレから悲鳴が…心配になって駆けつけた清掃員のおばさんは慌ててドアを開くと、男がトイレに流されているのを見てしまう…。

世にも奇妙な物語の放映作品一覧」『ウィキペディア フリー百科事典 日本語版』

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

最終更新日時:2023年1月22日 7:06(日本時間)
アクセス日時:2023年3月16日 23:13(日本時間)

 

男がトイレに流される話は、他にもあったのだ。

 

気になったので調べてみると、30秒弱の動画が出てきた。

その内容は、上に引用したあらすじの通りだった。

 

 

見終わった時、私は茫然としてしまった。

 

ああ、これだ。絶対にこれだ。

トイレの雰囲気や高速回転する流され方、バンザイの姿勢から何まで私の記憶と一致していた。

 

ただひとつ異なるのは、トイレに流されたのが八嶋智人ではなく田中要次だったということだ。

 

かなり大きな違いだが、その他の部分の一致度合いを考えると、しかしこれは私の記憶違いだということに落ち着きそうだ。

 

 

「トイレっと」は2006年3月28日に放送された『世にも奇妙な物語~15周年の特別編~』で放送されたアバンストーリーだった。

 

2006年なら私も生まれているので、幼い私がこれを観た可能性は十分にある。

それがきっかけでトイレが怖くなったという可能性も、十分にある。

 

 

動画のコメント欄には、私と同様にこの作品がトラウマだったという人たちがいた。

 

ふとした瞬間にトラウマは生まれ、ふとした瞬間にトラウマは氷解する。

 

 

トイレに流されたのは八嶋智人ではなく田中要次だった。

 

記憶がいかに曖昧かを思い知った。

 

 

私には「柴咲コウがヤクザの足をかんざしで貫く」という記憶もあるのだが、この謎が解ける瞬間も、いつか訪れるのだろうか。

 

 

<了>

50

50÷2=25コ

 

店舗編

 

1 開店前から並んでいる人がいる。

主に買い取りの人たち。

 

2 特有の匂いがする。

目隠しをしてても分かる。

 

3 店内BGMで季節を知る。

『春よ、来い』、『夏の終わり』、『ラスト・クリスマス』etc.

 

4 立ち読み客で通路が塞がれている。

後ろを通ろうとしてプラスチックの仕切りにぶつかる。

 

5 見たい棚が被る。

チューチュートレインみたいになる。

 

6 距離感が近いおじいさんがいる。

めっちゃグイグイくる。

 

7 棚の下の引き出しは開けて良いのか迷う。

開けて良いと書いてある店もある。

 

8 百円棚から取った本が百円じゃないときがある。

ちょっとガッカリする。

 

9 ずっと探してた商品が突然複数個入荷している。

状態を吟味できる贅沢さ。

 

10 本のカバーと本体のタイトルが一致しているか確認する。

心配性。

 

11 「ポイント使いますか」と聞かれるまでポイントを使えない。

私は使える。

 

12 会計が百円未満のとき、ポイントカードを出すか迷う。

ポイントはつかない。

 

13 値札シールを剥がす派と剥がさない派に分かれる。

私は剥がす派。

 

14 本の帯を取ったら、カバーが日焼けしていることが分かってガッカリ。

新刊書店でもたまにある。

 

15 本にさまざまなモノが挟まっている。

違う出版社のしおり、レシート、伝票etc.

 

16 そこから前の持ち主を想像する。

BOOK EXPRESSで買ったのか~。

 

17 書き込みがある本を一度買ってしまうと、どんどん寛容になっていく。

マーカーが引かれていても、もう何も思いません。

 

オンライン編

 

18 クーポンが届くので買い物せざるを得ない。

私はカモです。

 

19 お気に入り登録した商品が入荷していないか頻繁に確認してしまう。

僕の悪い癖。

 

20 注文をキャンセルした商品をカートに入れ直すのに一苦労。

お気に入り登録が解除されてるぅ~。

 

21 初めての店舗受け取りで注文番号を言う準備をするが、実際に聞かれるのは名前。

無駄な緊張。

 

22 店舗受け取りで中身の確認はしない。

全幅の信頼を寄せている。

 

23 梱包のプチプチを捨てるか迷う。

なんか使えそう。

 

その他編

 

24 ブックオフのハシゴは楽しい。

楽しすぎる。

 

25 ブックオフ仲間との会話は楽しい。

行ったことある店舗の話で異様に盛り上がる。

 

 

<了>

中空にて

教習所に入所してから一か月弱。

ようやく仮免試験に合格した。

いや、真っ白なスケジュールに教習を詰め込んだのだから「ようやく」ではないな。

きっと最速だ。そう思っておこう。

 

朝イチで技能試験。

点呼でわが同級生の名が呼ばれて驚いたが、当人は不在だった。

本人か、それとも同姓同名の別人か。ちょっと気になる。

 

いよいよ運転。

居眠りこいちまうんじゃないかと思うくらいには寝不足だったが、運転席に座ると流石に目が覚めた。手汗。脇汗。

教官の指示通りにコースを進んでいく。

クランクも、S字も、踏切も、滞りなく。

我ながら素晴らしい成長具合。

左折で挫折して半べそかいてたとは思えない。

なんとかかんとかフィニッシュ。

 

結果発表待ち。

待ち時間が案外長い。

景色を眺めて、眠気と和解する。

モザイクアートのような街並みを見下ろす。

家、家、マンション、寺、小学校。

 

視界の中心にカラフルな建物があることに、ふと気付く。

よく見るとそれは、私が通っていた幼稚園だった。

周りの建物にも見覚えが出てきた。

 

入所以降、幾度どなく眺めてきた景色の中に思い出の場所があったなんて。

今になってそれに気付くなんて。

私はなんだか可笑しくなった。

もしかしたら、ずっと寝ぼけていたのかもしれない。

 

懐かしい幼稚園。

あんなにも家々に囲まれていたのか。

 

懐かしい、あのベランダ。

幼馴染とふたり、あそこから今自分がいる場所を眺めたこともあったっけ。

 

私は不思議な気持ちになった。

 

あの頃の自分が見た場所に、今、私はいる。

 

十数年の時を越えて、過去と向かい合っている。

 

私は不思議な気持ちになった。

 

十数年の時を越えても、私はまだ、この街にいる。

 

教官がやってきて、合否を告げた。

思っていたよりもギリギリの合格だった。

少し、慎重すぎたようだ。

 

学科試験にも合格した。

次は路上教習だ。

 

あの幼稚園の側を通れるだろうか。

 

不安だけど、やるしかない。

 

気持ちを切り替えて、頑張ろう。

 

 

今週の読了本

若竹七海さんの『船上にて』。

(2001年、講談社文庫)

あらすじ

“ナポレオン三歳の時の頭蓋骨”がなくなり、ダイヤモンドの原石も盗まれた。意外な盲点とは――表題作「船上にて」。屋上から突き落とされたOLのダイイングメッセージの皮肉を描いた「優しい水」。五人が順繰りに出した手紙の謎に迫る「かさねことのは」など8編を収録。著者自ら選んだミステリー傑作短編集。

-裏表紙より引用

上記の3編の他に、もみの樹を通じて“五十嵐洋子”の真実を悟る「時間」、痴漢の復讐劇を断片的に描いた「タッチアウト」、“手紙嫌い”の女が予期せず原体験に激突する「手紙嫌い」、呪われた一族を描いた「黒い水滴」、空を飛ぶ生首は友人の幽霊なのかー「てるてる坊主」の5編が収録されている。

 

初期の作品ということもあって、これまで読んできた若竹作品とは雰囲気が異なっていた。そのあたりのことは「文庫版あとがき」で作者自身も言及しているが、さらに後の『暗い越流』(2016年)を読んだ身からすると最初の一編「時間」などは別人の作品かと思ったほどだ。

凝ったトリックから、ホラーチックな作品まで盛りだくさんだった。「優しい水」と「手紙嫌い」の“ドキッ”感、客船モノ「船上にて」の“オッシャレ~”感が、特に気に入った(あんまり書くとネタバレになってしまう)。

 

文庫版には単行本の「あとがき」も収録されている。執筆スタイルや収録作品の裏話が書かれている。「文庫版あとがき」では、改めて作品を読み直してみての感想や分析がユーモラスに綴られている。

 

あとがきまで、面白かった。

 

 

ONE PIECE FILM RED』を観た。

 


<了>

ヌーン街で拾つたもの

私の家には『椋鳩十全集』があった。

もしかしたら、今もあるかもしれない。

全集は全二十六巻らしいが、私の家には十二巻までしかなかった。

どうやら、第一期が全十二巻らしい。

 

小学五年の時から数年をかけて、私は十二巻もの『椋鳩十全集』を読破した。

一日に一章ずつ、読んでいった。

その読書は義務的なものであり、今している読書とは違っていた。

 

きっかけは、授業で「大造じいさんとガン」を習ったことだった。

そのことを家で話したところ、全集があることを知らされ、読むことになったのだ。

 

義務的だったとはいえ、今でも印象に残っている物語もあった。

犬がトラバサミにかかって死んでしまう話では涙したし、対岸の火事で尻を温め、鼻くそを茶請けにするケチな山伏が登場する『日高山伏物語』では大いに笑った。

 

二段組で函入りの本たちは、カビのにおいと共に私の記憶に残っている。

 

 

レイモンド・チャンドラーの『ヌーン街で拾ったもの』という本を読んだ。

(1961年、早川書房)

ブックオフで買った。かなり昔の本だ。

「マーロウ矢木」のこともあり、チャンドラーの作品はいずれ読もうと思っていた。

とはいえ、カッコつけたのも事実だ。こういう本には憧れがあった。

 

しかし、家に帰ると微かな後悔がやってきた。

ポーやドイル、クリスティはちまちま読んできたが、正直海外小説にはまだ抵抗があった。

中学生の時にカッコつけて『ローマ帽子の謎』を読んで痛い目を見たからだ。

 

さあ、今回はどっちだ。

 

あらすじ

ヌーン街は暗く、人影がなかった。ピート・アングリッチは一軒の戸口に身をひそめ、若い女の様子をうかがっていた。その女はアパートの壁にぴったりと身体をつけている。街灯からもれるかすかな光は、女のみすぼらしい身なりと横顔を照らし出していた。どこかで、時計が八時をうった。と、一台の車がゆっくり曲り角から現われた。女は車をみると、いきなり舗道にとび出し、アングリッチの方に走ってきた。車の弱いライトが、女の姿を捕えようと追跡をはじめた。そのとたん、アングリッチは戸口からとび出し、女の腕を捕えて暗がりにひきずりこんだ。車は二人の前をゆっくりと走りすぎた。だが――車は舗道に乾いた音をたてて、包みを落していった。それを見た女は急におびえはじめた。そして、アングリッチが暗がりから出て、その包みを拾おうとしたとき、背後で拳銃が光った――ピート・アングリッチは罠にかかったのだ!

いまは亡きハードボイルド派の巨匠、チャンドラーの傑作四篇を収録した中篇傑作集! 完訳決定版!

-裏表紙より引用。

おそろしく長いあらすじは表題作のもの。今作には表題作の他に「殺しに鵜のまねは通用しない」、「怯じけついてちゃ商売にならない」、「指さす男」の三篇が収録されている。

「殺しに~」では依頼人殺しを、「怯じけついてちゃ~」ではとある女の身辺を、「指さす男」ではカジノでの裏取引を、私立探偵が調査する。「殺しに~」と「怯じけついてちゃ~」にはジョン・ダルマスが、「指さす男」にはフィリップ・マーロウが登場する。

 

読んでみるとかなり面白かった。探偵のあり方が今とは違い、拳銃での人死や銃撃戦も多発する。表題作の主人公、ピート・アングリッチは潜入捜査官なのだが、普通に発砲する。そして、通報もしないで自分の仕事を続ける。道中で襲われて、濡れ衣を着せられたりもする。他の三篇でも銃撃、襲撃、追跡の連続。かと思えば、しっかりと頭を使う場面もあったりして、読み進めていくほどに面白さが増していった。

「切断された脚のような気分」や「日記に書くほどのことではない」というような端々の表現も面白かった。若竹七海さんの「葉村晶シリーズ」にも相通じる面白さがあったが、これがハードボイルドというものなのだろうか。

 

拗音、促音を表す小文字が全て大文字になっていて、それも新鮮だった。

-11頁より引用。

意外と読める。

 

面白い誤植もあった。

-34頁より引用。

椋鳩十全集』にも「ぽ」が90度転回しているという誤植があった。

 

-164頁より引用。

こんなの初めて。

 

 

二段組で図書室のにおいがする本は、新たな読書体験をもたらしてくれた。

 

 

<了>