不幸の受け皿

良い夢を見た。

ここでは言えないぐらい良かった。

でも、本当に良かったことは案外ブログには書けない。

本当に嫌だったこともブログには書けない。

不幸の受け皿として、ブログは非常に優秀だ。

しかし、書けないこともある。

何を本当に良いと思うのか、何を嫌だと思うのかを知られるのは恥ずかしい。

 

最近の私はポジティブだ。

サイゼリアに行って、400円のピザを二枚注文した。

注文用紙の個数の欄にはしっかりと「2」と書いた。

注文を復唱する時、店員は「1」とも「2」とも聞き取れる数字を言ったが、「2」だと信じてスルーした。

結局、ピザは一枚しか来なかった。

もう一度店員を呼ぶ労力と空腹度を天秤にかけた結果、追加注文はしなかった。

ピザ一枚、400円で食事を済ませた。

私は何故か得をした気分になっていた。

800円を想定していたのに400円で済んだ。

満腹にはならなかったが、店員に感謝したいような気分になった。

 

友人には共感されなかったが、この感覚は大切にしたい。

 

ブックオフの百円棚から手に取った本が百円ではなかったときの判断力も大切にしたい。

 

 

負け惜しみ?そうかもしれない。

 

 

今週の読了本

若竹七海さんの『みんなのふこう 葉崎は今夜も眠れない』(ポプラ文庫、2022年)。

葉崎FMで放送される「みんなの不幸」は、リスナーの赤裸々な不幸自慢が人気のコーナーだ。そこに届いた一通の投書。「聞いてください、わたしの友だち、こんなにも不幸なんです・・・・・・」。海辺の田舎町・葉崎市を舞台に、疫病神がついていると噂されながら、どんなことにもめげない17歳のココロちゃんと、彼女を見守る女子高生ペンペン草ちゃん、周囲の人々が繰り広げる、一気読み必至の極上コージーミステリー!

-裏表紙より

※「ぺんぺん草」の「ぺんぺん」は本文では平仮名。

 

不幸すぎる少女・ココロちゃんを巡る“事件”をひと月ごとに描いた、十三編からなる連作短編集。

「文月」では事件の発端となる葉崎海岸での群衆事故が描かれ、「葉月」から「師走」は葉崎FM<町井瞳子ライトハウス・キーパー>の放送を中心に、「睦月」以降はメールや日記、エッセイなどの体で物語が進む。最終話「文月 ふたたび」では再び<町井瞳子ライトハウス・キーパー>が描かれ、物語は終幕となる。

さらに、新装版には書下ろしの掌編「十数年後の文月」が収録されており、コロナ禍の葉崎が描かれている。

ラジオ放送やメール、日記などの形式で進行する群像劇的物語になっており、星新一の「セキストラ」を思い出した。

 

葉崎市シリーズということで角田港大や葉崎警察署の駒持時久警部補といった同シリーズでお馴染みの人物も登場する。

 

葉村晶シリーズも好きだが、このシリーズも好きだ。

 

不幸の受け皿という点で、ラジオのハガキとブログは似ているのかもしれない。

 

 

今週の些事

・『おはスタ』を昼に見た。

 

 

<了>