ヨン・ダホン

岡本綺堂 著訳『中国怪奇小説集 新装版』(光文社時代小説文庫、2006年)

超大雑把に言うと、昔の中国(六朝から清)で事実として記された怪奇談が220編収録されている本。なまじの知識があるので余計な解説をしたくなってしまうが、この本、いや、このジャンルを楽しむだけなら特に予備知識はいらないので割愛する。

数多ある日本語訳の中国怪奇談のうち最初にこの本を選んだのは、児童書で半七捕物帳(雪だるまのなかに死体が隠されていたという話だったような?)を読んで岡本綺堂を知っていたためである。

そして最初の1編を読んで驚いた。

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(↑言い忘れていましたが、青空文庫でも読めます。)

夜眠っている間に首が飛んで行ってしまう女中が登場する「首の飛ぶ女」という話。文庫本にして1ページ程度のごく短い話だが、この話で描かれている怪異は、星新一のとあるショートショートで描かれている怪異と類似しているのだ(詳しいことは大学卒業後に書きます)。この直感と、星がこの本を読んでいたという奇跡的な事実がのちに判明したおかげで、初めてのゼミレポートは完成した。

星新一の愛読書」という先入観を抜きにしても、この(ジャンルの)本をショートショート集のように感じる人は多いと思う。私は寝る前に数編ずつ読んだのだが、読書スタイルも相まってか、読んでいるときのワクワクや「もっと読みたい」という気持ちは、星新一に熱中していた頃と変わらなかった。

 

怪奇小説」とあるが、なにもホラーだけではない。

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例えば、この「女の知恵」という話。妻と間男による夫殺しの疑惑を調査することになった役人・丁欽(ていきん)が、その妻・韓氏(かんし)の助言によって犯人を挙げることに成功するが、実は韓氏も同じ方法で先夫を殺害していたことが丁の上官・姚忠粛(ちょうちゅうしゅく)の明察によって判明する・・・・・・というスジからもわかるように、立派なミステリである。

「殺害方法を見抜いた人物が、実は過去に同じ方法で人を殺していた」というトリックは、『相棒』の「ブラックパールの女」(脚本:山本むつみ、S17#6)でもやんわりと用いられている。これで山本さんが中国怪奇談を読んでいたという記述でも見つかればレポートが1本書けるのだが、おそらくそんな事実はない。

山本さんが「女の知恵」から直接トリックの着想を得たというよりは、このトリックが後の時代でも通用する(発想される)普遍性を持っていたがゆえの偶然と考えるべきだろう。

だが、それだけでもスゴイ。「最古のミステリ」の定義は難しいので迂闊なことは言えないが、「女の知恵」が明の時代(1368年~1644年)、ポーの「モルグ街の殺人」(1841年)より大体200年以上前に記されたことは確かである(※出来事自体は元の時代のもの)。

星のショートショートにもミステリが少なくなく、その一致にも感じ入ってしまう。

 

中国怪奇談は、ホラーだけではなく、ミステリやファンタジー、寓話などさまざま顔を持っている。ホラーにしてみても、「首の飛ぶ女」のように事実として怪異を淡々と提示する話もあれば、怨霊の復讐譚といったストーリー性が強い話もあり、それぞれ異なった怖さを味わうことができる。

星新一ショートショートを読破して、次に読むものに困っている人がいたら、是非とも中国怪奇談をお勧めしたい。

 

 

駒田信二 訳著『中国怪奇物語』(2007年、扶桑社文庫)

こちらも中国怪奇談のアンソロジー。収録数は54編で、『中国怪奇小説集』に比べるとかなり少ないが、訳はこちらのほうが50年ほど新しいので読みやすい。訳について付け足すと、著者は中国文学者なので、岡本綺堂よりも訳が正確だと思われる(駒田訳と原文の比較はしていないが、岡本訳に巧みな意訳や省略が多々あるのは確か。どちらも面白いのも確か)。重複している話があるので、翻訳を比較してみるのも良いかもしれない。むろん、こちらにしか収録されていない話もある。

中国怪奇小説集』との大きな違いはふたつ。ひとつ目は、『聊斎志異』の話が収録されていること。『聊斎志異』は岩波書店や光文社から文庫が出ている有名な中国怪奇談集で、全訳でなければ入手は容易である。重複を避けるなら、『中国怪奇小説集』+『聊斎志異』という買い方もアリ。

ふたつ目は、テーマ別に分類されていること。『中国怪奇小説集』は時代順に収録されているが、こちらは「幽霊編」「神仙編」「妖怪編」の3部構成になっている。もともとは全3巻(講談社文庫)だったのを再編集した名残だろう。どんなタイプの話が来るかわからないドキドキは減じているが、テーマ別のほうが読みやすく、読み返しやすくもある。

 

この本で特に印象に残っている話は「幽霊編」の「執念の復讐」(唐の時代『冥報記』より抄出)という話(今更だが、原書では個々の話にタイトルは付いていない。同じ話でも訳によってタイトルが異なる場合もある)。

浙江省富陽県の知事・王範(おうはん)の妾・桃英(とうえい)との不義密通の濡れ衣で死罪となった男・孫元弼(そんげんひつ)の亡霊による復讐譚なのだが、痛快なまでにセオリーを壊している。

まず復讐の順番が無軌道。

桃英と密通していた真犯人であるふたりの男を殺し、偽証をして孫元弼を陥れた陳超(ちんちょう)に「おまえはあとまわしだ」(67頁)と宣言し、王範と桃英を殺してから、5年の時をおいて陳超を殺す。

「わたしに直接手をくだしたのは王範だから、あいつからさきにとり殺してやる。そのつぎは桃英だ。おまえはいちばんあとで殺すことになっている」(66頁)という陳超への発言からは、「恨みが深い人物から殺す宣言」のような印象を受けるが、いまいち判然としない。単に冥府のスケジュールに沿ってあの世に連行しているだけなのかもしれないが。

最も復讐したい相手を最後にもってくるのが常道だと思っていた私にとって、孫元弼のやり方はショッキングだった。だが、確かに合理的ではある(亡霊のなすことにこの世の理を当てはめるのがナンセンスなのは承知の上)。

「嘘を吐いて孫元弼を陥れた」という点では王範以外みな同じはずだが、桃英と密通していたふたりの男に頼まれて偽証をしただけの陳超を5年の時をおいて殺した。タイトル通り、尋常ならざる執念を感じさせる。

 

殺害方法もセオリーを無視している。

(前略)陳超はもう孫元弼の亡霊は出ないと安心し、曲水の宴に出て酒に酔い、

「もう亡霊も怖くないわい」

と言って下を向いたところ、水の中に孫元弼の亡霊があらわれて、

「おまえを冥府へ連れていく期日がきたぞ」

 と言うなり、したたかに手で陳超の鼻柱をなぐりつけた。と、鼻からおびただしい血が流れだしてとまらず、数日後に、ついに死んでしまった。

-67頁、68頁より引用。

まさかのグーパン。亡霊なのに。王範はとり殺され、ほかの3名は吐血や陰部からの出血をしたとあるが、殴られたことを示す描写はない。実は陳超を一番恨んでいたのだろうか。

それにしてもスゴイオチ。孫元弼は水死したわけではないだろうが、当時の人も水と亡霊の親和性を知っていたのだろう。「下を向いたところ」というのが怖さを増している。「と言ったところ、孫元弼の亡霊があらわれて」より断然良い。場面が浮かぶというか、『ほん怖』的というか(そういえば『ほん怖』には幽霊に背中を平手打ちされる話がありましたね)。

セオリー無視の「執念の復讐」、ガツンと来た。

 

完全に余談だが、今期の『科捜研の女』の初回スペシャルでは「毒入り飲料を渡して毒殺」という“お約束”が見事に打破されていた。脚本は櫻井武晴

tver.jp

まだ観れるよ。

 

 

浅羽通明 著『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと』(筑摩書房、2021年)

星新一についての評論。定価が2,200円と高価なため発売当初はスルーしていたが、ちょうど1年前、ゼミのレポートで星新一を扱うと決めたときに思い切って購入。

「第8章 寓話の哲学をもう一度」で星のエッセイ「老荘の思想」(『きまぐれ学問所』所収)が扱われていることを知り、たとえ私の研究テーマである中国怪奇談に関わる記述が見つからなかったとしても、中国文学のゼミに所属している以上は読んで損はないと判断した。

読み応えアリ。

結果、読んで本当に良かった。星がエッセイ集『きまぐれ読書メモ』で『中国怪奇小説集』を紹介していたことを知れたのももちろんだが、純粋に読み物として面白かった。

例えば、「第3章 アスペルガーにはアバターを」では「星新一アスペルガー症候群だったのではないか」という考察が繰り広げられている。「(実際にそう)だったかどうかはわかりません」(105頁)と断ったうえでの大胆な仮説だが、作品やエピソードの分析に基づく考察は説得的だった。

紹介されている星のエピソードのなかにはエッセイ等で読んで知っていたものもあったが、私はそれを「作家だから」という偏見じみた解釈で片づけてしまっていた。しかし著者は、そういったピースから大胆な仮説を打ち立てた。この姿勢は見習わなければ。

星新一の研究書は少ないので、研究をするなら最相葉月 著の諸書籍ともども必携の1冊に違いない。

 

ファンでないとまず手に取らないだろうが、細かい章立てと硬くない文章のおかげでかなり読みやすいので興味のある方は是非。

自分のなかの「星新一像」が覆されてゆく快感は、星作品を読んでいればいるほど大きいものだろう。ある意味で、今までで一番面白い読書体験だった。

 

 

大学の講義に関連した3冊。ミステリ以外は読むのが極めて遅いので、図書館で借りずに買っちゃう派です。

海部陽介 著『日本人はどこから来たのか?』(文春文庫、2019年)

陸続きだったシベリアから南下する「北海道ルート」、朝鮮半島から対馬を経て九州北部に渡る「対馬ルート」、台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」、ホモ・サピエンスが日本列島に移入したルートは3つあると考えられている。しかし、遺跡分布の分析から導き出された“事実”の前に「3万年前の人類に、日本列島への航海は可能だったのか?」という大きな疑問が立ちはだかる。著者は「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を立ち上げ、当時と同じ条件で舟を手作りし、黒潮を横断する台湾~与那国島間の航海に挑戦する。

1冊まるごとプロジェクトのレポートではない。この本の8割は、人類の進化の歴史や3つのルートの解説などに費やされている。まずそこを理解しないとプロジェクトの必要性・重要性が伝わらないということなのだろう。

「時期によって構成は変わるが、各所に異なる原人・旧人集団が分布する状況が続いていたのである。そこに、アフリカからやってきた私たちの祖先が登場した」(40頁)。私は数年前まで、ひとつの人類が徐々に進化してホモ・サピエンスなったのだと思っていた。

人類の進化図が招く誤解だと思うのだが、この勘違い、私だけだろうか。

プロジェクトは2019年7月に成功。刊行後の話であり、この本では途中経過までしか書かれていない。全貌は映画やNHKのドキュメンタリーで知ることができる。

www.nhk.or.jp

 

赤坂憲雄 著『東西/南北考 -いくつもの日本へー』(岩波新書、2000年)

(前略)東西の軸に沿った比較がもたらす日本文化像は、たしかに揺らぎの源となることはあれ、結局は「ひとつの日本」の懐に抱き取られる。だからこそ、南北の軸に立った、あらたな列島の民族史的景観が拓かれねばならず、それはまた、「いくつもの日本」に向けて組織されるべき必然がある。

-「はじめに」Ⅷ頁より引用。

箕の形状、言語、穢れの思想などの地域差から東西南北の日本文化を概観する1冊。言われてみれば、本州内の東西の比較に比べ、日本列島全体の南北の比較は少ない気がする。

特に印象に残ったのは、穀物の選別などに用いられる農具・箕についての章。竹や樹皮など、材料は地域によって異なり、竹箕は全国で葬送や産育などの習俗、年中行事に用いられているらしい。『中国怪奇小説集』に、ほうきで怪異を祓う話があったので竹と関係があるのかと思ったが、竹ぼうきではなく箒草のほうきだった。

 

篠田謙一 著『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造』(NHKブックス、2007年)

DNA分析によって日本人の祖先を辿る本。『日本人はどこから来たのか?』を読んでいたおかげでかろうじて読了できたが、難しかったので正直内容をあまり覚えていない。「ハプログループ」が「ハロプログループ」に見えて仕方なかった。著者が海部氏と同様に「(生物学・人類史を)学ぶこと」の重要性を説いていたのが印象的だった。

 

 

石持浅海 著『Rのつく月には気をつけよう』(祥伝社文庫、2010年)

湯浅夏美と長江高明、熊井渚の三人は、大学時代からの飲み仲間。毎回うまい酒においしい肴は当たり前。そこに誰かが連れてくるゲストは、定番の飲み会にアクセントをつける格好のネタ元だ。今晩もほら、気持ちよく酔いもまわり口が軽くなった頃、盛り上がるのはなんといっても恋愛話で・・・・・・。ミステリーファン注目の著者が贈る傑作グルメ・ミステリー!

-裏表紙より引用。

表題作のほか、「夢のかけら 麺のかけら」「火傷をしないように」「のんびりと時間をかけて」「身体によくても、ほどほどに」「悪魔のキス」「煙は美人の方へ」の6編が収録されている。

肴にちなんだ恋愛話の小さな矛盾から意外な真相を導き出す安楽椅子探偵モノ。日常ミステリではあるが、著者の持ち味である着眼点の鋭さ、ときたま訪れるゾッとするようなオチを堪能できた。

 

石持浅海 著『Rのつく月には気をつけよう 賢者のグラス』(祥伝社文庫、2022年)

12年ぶりの続編。後述する「座間味くんシリーズ」と同様に、現実時間が進んだぶんだけ登場人物も年を取っているのが特徴。

「ふたつ目の山」「一日ずれる」「いったん別れて、またくっつく」「いつの間にかできている」「適度という言葉の意味を知らない」「タコが入っていないたこ焼き」「一石二鳥」の全7編。各話の流れは前作とおおむね同じで安心安定の面白さがあるいっぽうで、前作とは異なる趣向も凝らされていた。あー、言いたい。ネタバレしたい。

 

 

石持浅海 著『玩具店の英雄 座間味くんの推理』(光文社文庫、2015年)

津久井操は科学警察研究所の職員。実際に起きた事例をもとに、「警察は事件の発生を未然に防ぐことができるか」を研究している。難題を前に行き詰まった彼女に、大先輩の大迫警視正が紹介したのは、あの『月の扉』事件を解決した座間味くんだった。二人の警察官と酒と肴を前にして、座間味くんの超絶推理が繰り広げられ、事件の様相はまったく違うものになっていく!

-裏表紙より引用。

表題作のほか、「傘の花」「最強の盾」「襲撃の準備」「住宅街の迷惑」「警察官の選択」「警察の幸運」の6編が収録されている。

「座間味くん」とは著者の長編第2作『月の扉』にて初登場した男性キャラクター。彼女との旅行中にハイジャックに巻き込まれ、犯人の命令で、機内で発生した予期せぬ殺人事件の真相究明を強いられた不幸な民間人だったが、ハイジャック犯に物怖じしない胆力と卓越した洞察力を発揮し見事事件を解決。座間味島のTシャツを着ていたことから、犯人たちから「座間味くん」と呼ばれており、警察内でもその名で通っている人物である(作中で彼の本名は一切明かされない)。

その後、『心臓と左手』『玩具店の英雄』『パレードの明暗』『新しい世界で』と、彼を主人公とした安楽椅子探偵モノの短編集が刊行され、読者は彼とともに年を取ることが可能になった。

 

あらすじを読むと「Rのつく月シリーズ」と似ていると思われるかもしれないが、こちらのシリーズは、飲み会のレギュラーメンバーに警察官僚の大迫氏がおり、肴も事件(解決済み)の話であるため、どちらかというとシリアス寄りである(飲み会の和やかな雰囲気や、食欲そそる料理の描写との対比が面白い)。

大迫氏やゲストが話す事件の話から、民間人ならではの視点と卓越した洞察力で、誰も気づかなかった意外な真相を導き出す座間味くん。公式には解決済みの事件であるがゆえにある種の“推理ゲーム”の様相を呈しているが、そのスタイルもまたオシャレである。

第1作→第4作→第2作→第3作(本作)というめちゃくちゃな順番で読んできたのだが、十分に楽しめた。最新作『新しい世界で』も早く読みたい。

 

石持浅海 著『届け物はまだ手の中に』(光文社文庫、2015年)

楡井和樹は恩師の仇である江藤を殺した。しかし裏切り者であるかつての親友・設楽宏一にこの事実を突きつけなければ、復讐は完結しない。設楽邸を訪れた楡井は、設楽の妻、妹、秘書から歓待を受ける。だが息子の誕生パーティーだというのに設楽は書斎に籠もり、姿を見せない。書斎で何が起きているのか・・・・・・。三人の美女との探り合いの果て明らかになる、驚愕の事実とは⁉

-裏表紙より引用。

「部屋から出てこない」というシチュエーションが著者の代表作である倒叙ミステリ『扉は閉ざされたまま』を彷彿とさせる。だが、本作は楡井の殺人で幕が開きこそすれ、倒叙ミステリではない。

では、いったい何なのか。それを知るためにページをめくっていくと、得体の知れない謎が靄のように立ち込めてくる。楡井はなぜ、設楽と直接会おうとするのか?設楽はなぜ、姿を見せないのか?設楽の妻、妹、秘書の不自然さの理由は?

復讐に生きてきた楡井の末路は、帯文の通り「石持浅海にしか書けない」ものだった。

 

 

葉真中顕 著『W県警の悲劇』(徳間文庫、2021年)

 W県警の熊倉警部が遺体となって発見された。彼に極秘任務を与えていた監察官の松永菜穂子は動揺を隠せない。県警初の女性警視昇任はあくまで通過点。より上を目指し、この腐った組織を改革する。その矢先の出来事だった。「極秘」部分が明るみに出ては県警を揺るがす一大事だ。事故として処理し事件を隠蔽できないものか。そんな菜穂子の前に警部の娘が現れ、父の思い出を語り始めた――。

-裏表紙より引用。

「洞の奥」「交換日記」「ガサ入れの朝」「私の戦い」「破戒」「消えた少女」の6編からなる連作短編集。

分厚い長編が多い著者の第2短編集。第1短編集『政治的に正しい警察小説』は連作ではなかったためか、テンションが高すぎて置いていかれそうになる局面が多々あったが、今回はそうならなかった。私が単に警察モノが好きなだけかもしれないが。

だが、この小説、ただの警察モノではない。あらすじからも「歪み」が伝わってくるだろう。女性警察官の地位向上のために、不祥事を隠蔽する監察官・・・・・・。これ以上書くとネタバレになってしまうのでやめておく。

あー、してぇ。ネタバレしてぇ。

 

 

大童澄瞳 著『映像研には手を出すな! 第6集』『~第7集』『~第8集』(小学館、2021年、2022年、2023年)

浅草みどりはアニメ制作がやりたいが、一人では心細くって一歩が踏み出せない。
そんな折、同級生のカリスマ読者モデル、水崎ツバメと出会い、実は水崎もアニメーター志望なことが判明し・・・!?
金儲け大好きな旧友の金森さやかも加わって、「最強の世界」を実現すべく電撃3人娘の快進撃が始まる!!!

作品詳細ページより引用。

アニメをきっかけにハマった。第5集まで一気読みして新刊待ちをしていたら、大学受験等もろもろの儀式があり、気がつけば3冊も出ていた(いつの間にか映像研メンバーより年上になっていた)。

年に約1冊という刊行ペースが誕生日プレゼントに適していると思い、姉にねだって第6集を買ってもらった。最新刊まで一気読みするのが惜しい気がしたのだ。

ところが、この第6集が私の想像のはるか上をゆく面白さで、矢も盾もたまらず近所の本屋に駆け込み、結局最新刊まで買った。こんなに面白いものを放置していたなんて、俺は馬鹿だ。

新キャラをめぐるドタバタ劇。表現を賭けた闘い。「自分も何かをしなければ」という意欲を掻き立ててくれる物語。ハイもローも焦燥の涙も、全部わかる。わかってしまう。気恥ずかしいけれど、気持ちだけは若くありたい。いろんな感情にさせてくれる。

あー、早く続きが読みたい。

 

「食料は少なくして釣り竿を持てば 長旅であることを表わせる」(『第6集』より)という浅草氏のセリフが、なぜか心に残っている。なんかスゲー良いよな、このセリフ。

 

 

こんなに書くつもりはなかった。レポートやんなきゃ。

 

<了>