PPPは止まらない

中学に上がった頃から足がつるようになった。

今でもよくつる。

まあ、歩きまくっているから当然と言えば当然だ。

 

小学校時代の同級生に、よく足がつる者がいた。

「足つった!」と言って患部を伸ばす姿は、足つり未経験だった私に恐怖と憧れを植え付けた。声変わりへの恐怖、眼鏡に対する憧れのようなものだ。

今の私は低音で、眼鏡とストレッチが欠かせない。コンプリートしてしまった。

おまけに鼻も鳴っている。ピーピーうるさい。黙れ。

 

自覚はある。でも、いつも鳴っているわけではない。

動画を撮るときに限って鳴りやがる。画面を通したときの方がかえってよく聞こえるし。

仕方がないから編集で音を消す。技術がないからほかの音も消える。

立派な実害だ。訴えてやる。

 

電車に乗っていたら、気になっていた人の鼻が鳴っていて気持ちが冷めた、という会話が聞こえてきた。思わず呼吸を止めてしまった。

誰かノーズホンか鼻音姫を作ってくれ。

 

調べてみたら、鼻腔の幅が関係しているらしいことがわかった。狭いと鳴るらしい。

私の場合、鳴るのは右の穴だけだ。鼻息の風量も右の方が多い。左は無風。

風が強いということは穴が狭いということだろう。どうりでピーピー鳴るわけだ。

 

私は嗅覚が人並み以下なのだが、その原因は凪いでいる左の穴だとばかり思っていた。

しかし、真犯人は右の穴だった(鼻腔の狭さと嗅覚の関係は知らないが)。

 

疑って悪かった、左穴。

私の右穴は、今日ももがっている。狭い独房のなかで。

 

 

今週の読了本

川村元気さんの『理系。』-文系の著者と第一線で活躍するの理系人たちとの対談集。

(2020年、文春文庫)

いかに「理系の知恵」を「文系の物語」をもって適切に使い、難局を乗り越えるか。危機の先にある、大きなチャンスをどうやってものにするのか。稀代の映画プロデューサーであり、ベストセラー作家である川村元気が、最先端を走る理系人15人と対話し、その目が映す未来に迫る。これから世界と人間は、どう変わるのか? 全国民必読本。

-裏表紙より引用。

 

佐藤雅彦さん目当てで購入した本だったが、どの対談も面白かった。

ヒト型ロボットが等身大である必要はないこと、宇宙人との会話には数式が用いられるかもしれないことなど、その道のプロならではのアイディアに触れることができた。

 

私は著者と同じく文系の人間なので、手ずからモノづくりをするのは良くてもプログラミングとなるとダメ、など大いに共感する部分があった。

だが、ただ文系というだけで川村元気と同じレベルになったと勘違いしている私に、著者は発想の違いを見せつける(ひけらかしているわけではない)。

特に、文系はストーリーやアートを通して答えを追求する、という考えは今までの私にはないものだった。

 

言われてみれば確かに、文系のゴールは創作だという気がしてきた。

論文にしろ、小説にしろ、なんにしろ。アウトプットは大切。

そこは理系も文系も関係ない。

 

なるほど。

 

文系であることに、もう少し誇りを持っても良いのかもしれない。

 

 

<了>