卒業検定でポシャった翌日、私は再び教習所に来ていた。
補習を受けるためだ。
昨日の雨模様がウソのように空は晴れ渡り、夏顔負けの暑さだった。
とても順調だった。教官にも褒められた。
しかし、どうも気分が晴れない。
卒検でのミスが染みのように尾を引いているのだ。
補習後、染みを抜くために映画を観に行った。
予約はしていない。突発的な行動だ。
ひとり映画に行くのは初めてだ。
どうだ、大人だろう。どうだ、カッコいいだろう。
肩で風切り、意気揚々と劇場へ。
チケットを買う。良いポジションの席がひとつだけ空いていた。
ひとりのメリットを噛みしめる。
劇場には老若男女いたが、特に子どもが多かった。
「ひとり映画慣れてます顔」をしながら優雅に鑑賞。
あっちゅー間の二時間。
上映後、即行で出口へ。これもまたひとりのメリットだ。
しかし、なんか虚しい。
ひとり映画がこんなにも簡単にできてしまうとは。
私は自由だったのだ。
もはやひとりで何をしたところで誰にも褒められない歳になってしまった。
私は確かに大人だが、別にカッコよくはなかった。
背を丸めて、家路に就く。
今週の読了本
大江健三郎さんの『空の怪物アグイー』-短編集。
60年安保以後、その大きな影響下に書かれた〝現代の恐怖〟にかかわる一連の作品を収める。『個人的な体験』と同一の設定のもとにそれとは全く逆の結末を導き出し、共通のテーマをめぐる著者の文学的格闘をうかがわせる「空の怪物アグイー」ほか、『万延元年のフットボール』につながる「ブラジル風のポルトガル語」、核時代の苦いユーモア「アトミック・エイジの守護神」など7編。
-裏表紙より引用
退学になった三人の学生が精神病院からの脱走者を捜す「不満足」、カメラマンと新興宗教の闘いを描いた「スパルタ教育」、幽閉された老人に“外の世界がうまくいっていること”を信じ込ませるという奇妙なアルバイトに若者が挑む「敬老週間」、原爆孤児十人を養子にした謎の男が登場する「アトミック・エイジの守護神」、“ぼく”と怪物にとりつかれた男の奇妙な関係を描いた「空の怪物アグイー」、森林監視員が神隠しの集落にのめり込む「ブラジル風のポルトガル語」、戦争から十四年後に帰ってきた弟は全くの別人だった-「犬の世界」の全七編。
この本と『芽むしり仔撃ち』は受講している授業の教科書として指定されているため、積ん読に優先して読んだ。
普段全く読まないジャンルの本は、新鮮な驚きをもたらしてくれる。
その意味では、大江健三郎作品との出会いは衝撃的だった。
日常と非日常の境にある“冷たさ”みたいなものが、私の好みに刺さるのかもしれない。
<了>