手がビチョビチョ

「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の数字に過ぎない」

世界史の時間、先生が言った。

ちょうどその時期に放送された『相棒』(S18#9)でも冠城君が似たようなことを言っていたので記憶に残っている。

スターリンの言葉として教わったけれど、調べたら別人の言葉だとか。知らなかった。

 

この言葉を思い出させる、一冊の本に出合った。

『二千回の殺人』石持浅海 (2018年、幻冬舎)

災害で恋人を亡くしたカフェ店員の女性が、常連客5人の協力のもと汐留のショッピングモールでカビ毒による無差別殺人を繰り広げる物語。

恋人を亡くしたことが、なぜ殺戮へとつながるのか。なぜ汐留なのか。なぜカビ毒なのか。

これらの疑問は読み進めていくうちに解消されるが、正直、私の理解を超えていた。

 

触れただけで死に至る「カビ毒」による殺人の描写は惨く、大の大人たちが積極的に犯行計画を練る様子も読んでいてかなりモヤっとする。

 

だけどページをめくる手が止まらない。

怖いもの見たさもあるけれど、救いを求める感覚の方が近い。

しかし、殺戮は止まらない。帯にも書いてある通り、最終的に2000人以上が死ぬ。

 

そのうちに感覚が麻痺してくる。肝が据わってくる。

 

生前の描写の有無によって感情移入の度合いは変わってくるけれど、いずれにせよ肝が据わってくる。殺戮という名の儀式を見届けようという覚悟ができてくる。

 

そんな覚悟ができるのは、言うまでもなくこの小説がフィクションだから。

解説で言及されているような事柄に目を向ければ、この犯行がおよそ現実的ではないことが分かる。

頭では分かっていても、読んでしばらくはショッピングモール恐怖症になった。

それほどまでに恐ろしい小説。手に握った汗の量は歴代一二を争う。

分厚い小説は手汗かきとは相性が悪い。

 

積ん読に手をつけ始めてからというもの、「もっと早く読んでいれば・・・」という思いを繰り返している。

 

 

<了>